
毎日決まった時刻に目覚めて、
決まった順番で、食事をし、身なりを整え、
身体的、精神的な健康に気をつかいながら、
日々そつなく仕事をこなし、
適度に羽目を外し、適度に常識人で、
帰宅し、汗を流し、ニュースを見て寝る。
ボクは、そういう風な規則正しい生活をしていません。
いやむしろ若い頃から、そういう生き方に対してちょっとした嫌悪感を抱いていたのだと言ってもいい。
破滅に向かう道に、どこかで淡く憧れているような。
じゃぁ実際のボクが、
豪快な無鉄砲さを持ち合わせているかと言えば、
無頼で、危険な、時に反社会的な、そんな男かと言えば、
これがちっともそうじゃない。
一方では破滅を恐れていて、
その場では、自分で対処できる範囲の小手先の手段で、小さな破滅を回避しようとあがいたりする。
海賊になることに憧れていた少年が、
現実の社会生活のつまらないハードルを、必死に越えることに汲々としているような、
そんな大人になったってところだな。
その結果、
規則正しくもなく、規則正しくなくもなく、
ただ緩慢と壊れていく、そんな道を歩んでいるような感じがする。
そこには、
自分を律することに対する怠慢が、
美意識に殉じることに対する覚悟の無さが、
自分を大きな物語のなかに位置づける能力の欠如が、
見え隠れしている。
しなければならない事に囚われて、したい事を我慢してはいけない。
そう思っていた。
したい事をするために、しなければならない事を疎かにしてはいけない。
そう考える事を身に付けた。
今もなお、この原則はボクの中に残っていて、
ボクは、どっち付かずという結末に向かって突き進んでいるのだ。
*****
ボクは、
規則正しい生活が似合う男になりたかったのだろうか?
規則正しく無さが似合う男になりたかったのだろうか?
どっちでもいいけれど、
若いころに、自分はどっちの男になるかを定めておくべきだったよ。
どっちの道を選ぶにしても、そこにはダンディズムが必要だな。
いまさら、ダンディズム?
確かに流行らないのかもしれないね。
ダンディズムには、
「かっこ良さ」と言うよりも「かっこつけたがり」といった諷刺的なニュアンスがあるし、
めかし込んだ気どり屋だったり、
ナルシストの己惚れ屋だったり、
つまらないこだわり屋だったりをイメージさせる。
でもな...
どっち付かずの中途半端な男をやるくらいだったら、ダンディだと揶揄された方が、どれだけましだか。
もう一度言うけど、
どっちの道を選ぶにしても、そこにはダンディズムが必要だった。
ダンディズムとは、やせ我慢とロマンチシズム。
やせ我慢や、ロマンチシズムを身にまとった男は、傍から見ると滑稽かもしれない。
でも、その滑稽さを愛すべきと評価する価値観が社会に少しでも残っていて、
その滑稽さを実践する美意識がしっかりしていればよかったのにと、
そしてボク自身は、もっと若い内から、我慢強く、ロマンチストであるべきだったと、
今更ながら、後悔するのだ。
●Le temps des cerises:さくらんぼの実る頃
