
酔っ払いという者は、いったいどのような者なのでございましょう。
ここでお話をする酔っ払いは、まさに酷いものでございました。
わずかの距離を歩いて進もうとはするものの、もはやまっすぐ歩けないのでございます。
次の電信柱までたどりつこうと試みるのではございますが、
やっとのことで進んでみると、
たどりついたのは次の電信柱ではなく、往来の反対側の電信柱なのでございます。
先に進むのではなく、往来を横切ってはまた戻り...
目指す、じぇいあーるの駅までは、
その者にとって、それはそれは長い道のりなのでございました。
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もちろん、その者にとって、そうなることは覚悟の上のことでございました。
経済戦国の世の倣いとして、目上の者に勧められた御酒を断ることはかなわなかったのでございます。
人の世の厳しきこと、仕官したてのその者にとっては、はかりしれない苦痛だったことでございましょう。
祝いの酒席の場から、じぇいあーるの駅までは、わずか500メートルほどでございました。
その距離を、半時ほどの時間をかけてやっとたどり着いたものの、
もう既に、じぇいあーるの乗り合い駕籠は、終わっていたのでございました。
さすれば、乗り合いではない的士駕籠をと考えたのでございますが、
無事、的士駕籠に乗ったところで、そのゆれの激しきこと、
その者の胃の腑を激しくかき回したのでございます。
「さて、駕籠かきの衆。しばし駕籠を止めてはいただけまいか。」
かくして駕籠を降り、往来をはずれたところに、ゲロゲーロ、ゴボゴーボ。
先の宴席の山海の珍味を、自然に戻したのでございます。
「これは、お侍さま。今宵はたいそう御酒を召し上がれたようすでございますな。
駕籠の中でゲロゲーロ、ゴボゴーボされずに、駕籠をお止めいだたけましたこと、
ありがたき上にもありがたいことでございます。
駕籠の中で左様な事態になりますれば、わたくし共の商売は、もはやあがったりでございます。」
このように、駕籠の者に感謝されながらも、駕籠を止めることさらに数回。
ようやく、江戸城中より数里のあばら家にたどり着きし時分には、
すでに丑の刻を過ぎ、草木も寝静まり、この世のもの全てが息を潜めている頃でございました。
その者、あくる朝は参城することもあたわず、ただただ、3畳だたみの上で懊悩呻吟するのみでございました。
粥をすすり、きゃべつぅなる煎じ薬を服し、ただただ己の未熟さを呪うのみでございました。
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この話は、夏麦殿がまだ宮仕えをされていた頃の、いまとなっては懐かしき話。
思い出す度に、苦いものを心に感じるものでございます。
