昨日の夕方、外からラッパの音が聞こえて「ねえ、外から豆腐屋のラッパの音が聞こえる」って夫に言ったの。
夫は「テレビだよ」と。
えー?
テレビのBGMと関係ないタイミングで鳴ってるのに?


耳をすませてもラッパは聞こえない。
ずっと聞こえるわけじゃない。
だけど時々、さっきよりも遠ざかっていくけど「トーフー」のラッパが聞こえるんですよ。


テレビを消して、また音がするのを待つ。
かなり遠ざかったらしい「トーフー」がやっぱり聞こえる。


窓から外を見てみるけど、見えないしもう音もしない。
懐かしい昭和の音。


昔は豆腐の移動販売があって、「トーフー」のラッパが聞こえると鍋を持って買いに行ったものです。
保育園の頃。
ボウルとか無かったし、親が持って出るのは鍋(笑)。


当時住んでいた公営住宅の近くにお豆腐屋さんがありました。
町内にはお豆腐屋さんが何店かあったので、移動販売がそのお豆腐屋さんだったのかは不明。


店内に入ると油揚げ、生揚げ、がんもどきを揚げる油の匂い。
あの頃のお豆腐は、油揚げもがんもも、濃くて美味しかったナァ。
輸入の大豆だとか、遺伝子組み換えだとか、そんなのが聞こえてくるよりずっと前の話。


お豆腐屋さんのその先には銭湯がありました。
お豆腐屋さんから出て右手に家、左手に行けば銭湯。
なのにお豆腐屋さんから出るとどっちが帰り道なのか分からなくなっちゃうのを今でもよく覚えてる。


当時の住居は木造の2Kの平屋で隣家と壁共有の所謂二軒長屋。
元は風呂無しだったのを、父が大工だったのでお風呂を増築したって聞いてる。
風呂釜は廃材を燃料にしてた。


玄関に据えてある釜に右手を付いて手の甲まで黒く焦げる大火傷をしたらしいけど、記憶には全くない。


件の豆腐屋の向かい側に外科医院があってすぐに処置してもらったお陰か、手のひらの人差し指の付け根に小さい傷跡があるのみ。


当時は家の前のその通りでオートバイに撥ねられたりもあったらしい。
それも記憶にはないんだけど。


銭湯もそこに住んでいた頃はたまに行ってました。
洗髪するなら追加料金ってシステムだったね。
木製の下駄箱の鍵、ケロリンの桶、シャワーなんて無くて、青い蛇口は水で赤いのは熱い湯で、桶でそれを混ぜて湯温を調整する。


壁にはペンキ絵が描かれてたはずで、大きくなってから廃業後の銭湯の跡地に残ってたその壁を見たはずなのにその絵が定番の富士山だったのかどうかは覚えてない。


壁のペンキ絵より、湯船に沿って横に埋め込みの水槽があったその風景はしっかり覚えてます。
お風呂でのぼせたら水槽で頬を冷やした。
涼しげな水槽の中には金魚が泳いでました。


保育園の年長までその辺りに住んでたので54年前の記憶ですね。
大人になってから行った熱海のサンハトヤの海底温泉を「あの銭湯のデッカイ版」って思ったよ。



ヘアドライヤー



体重計


↑脱衣所にはこういうのがあった。😊


小学校入学前に新築した新居に引っ越しした所には「トーフー」のお豆腐屋さんはもう来なくて、やがて街にスーパーマーケットが出来る。


お豆腐はビニール袋に入れて売られるようになって、その後は今と同じパック詰めに変わった。


連鎖で湧く思い出に、お豆腐屋さんの煮た大豆や揚げ油の匂いの他に、家の前の通りがアスファルト舗装に変わった時のあの匂いも思い出しました。


八百屋さんや、コロッケが美味しくて唯一私が食べられる唐揚げも美味しかったお肉屋さんと次々に廃業して、当時のスーパーマーケットも閉店。
街は様変わりしていたり昔のままだったり。


テレ東のドラマ・絶メシロードの元ネタになった『絶メシリスト』掲載の手作りのお豆腐屋さんに行ってみたくなりました。
スーパーで売ってる長期保存がきくおからより、小さいお豆腐屋さんの足が早いおからの方がずっと美味しいんだよね。


あ、日曜日。
休みだ。ぼけー