ここ。

旧の三国トンネルの左横。
新トンネルの工事の時には工事車両や機材の置き場で立ち入り禁止だった路肩の🅿スペースの奥。


この先は上越国境(上州と越後の境)の、旧の三国街道、三国峠に至る。



『緑の回廊』として遊歩道に整備されてるようです。


ここを覗きに行く時はなぜかいつも雨の日で、少し行っても毎度すぐに取って返してる。
今回も。ニコニコ




往古の人々が徒歩で越えた峠。
ん?何かある。



石仏。
馬頭観音かな。
馬頭観音なら勝負事の必勝祈願の仏様ですが、よくこの手の峠道にあるのは馬にちなんで旅路の足腰の丈夫を祈る、とか?



首だけとか怖いんだけどっ!!😱



寝そべり地蔵のお尻?足の裏?のコケがイソギンチャクみたいだし、そこしかコケが生えてないのは何で?
何かよくわかんない物の上に乗っててこっちもコワイ。
なにこれ、カメ?違うか。



徒歩や馬での昔の峠越えは急勾配でさぞや難所だったろうなと。


階段を登りながらスキー板を担いで斜面を登り返す息切れや大変さを思い出して、そんなのよりもっと辛くきつい昔の街道歩きを考える。


今なら峠越えも🚘でバビュンです。
歩くとしても歩きやすい丈夫な靴も、背や腰に合う背負いやすいザックもある。
担ぎ上げスキーなんてのは酔狂で、本気で嫌ならリフトがある所だけ滑ればヨロシイこと。



振り返ると、灰色の旧トンネルと白い新トンネル。
新潟県側出入り口。
新トンネルの向こうに国道付け替え工事で削った崖の擁壁。


現在のこの工事の技術で安全に通れてるわけです。
ありがたや。


旧のトンネルは閉鎖されて侵入禁止だけど、人が入り込んだりしないのかな。
もう保全はしないだろうから、口を完全に塞ぐとかしないと危ないんじゃない?


と、立入禁止の某所の旧道へ侵入して歩いた私が言ってみる。👅
現道から頭上に見える旧道の橋が橋台のみ残してぶった切られてるのを、そこまで行って目前で見てみたかったん。


橋が途切れてる事の危険を理由に立入禁止、侵入禁止なわけですが、その部分以外は誰か(許可車両?)が通ってる痕跡はあるんです。


“まだそこにある”なら、通ってみたくなるのは人の常だから。
ああ、そんなの言い訳です。ごめんなさい。🙏



それとはまた別のルートの旧旧道の峠道は、物の本によると昔はガイド付きハイキングコースでもあったと。
もうそれは道が古すぎて不明瞭で、今では見ても分かりません。



旧三国街道。



もう三国トンネル(古い方)の上を歩いてるのですかね。



この先、急勾配を九十九折で和らげたのか雪が残る道のカーブが左へ右へと見えます。
小雨が降ってたし、手ぶらで上着も着てないのと歩くのが嫌いなのでここまで。





新旧の三国トンネル、反対側の群馬側坑口をストリートビューで。
右側の旧トンネルの右上、山の鞍部辺りが旧の三国街道が通ってた所らしい。


この近くで現国道と合流して、また外れてと、三国街道は高崎市(高崎宿)の中山道との追分まで続きます。


私のかぐら行きのルートは、金井宿辺りから三国街道に入って〜(中略)〜三俣宿です。
もちろん旧の街道のままの道ではない。


浅貝宿(苗場スキー場)と二居宿(かぐらスキー場田代ステーション)を通過して、三俣宿(かぐらスキー場みつまたステーション)マデ。


二居の旅館街、三俣の旅館街の旧道は現道と並走していて現役で通れる道だけど。



二居の集落の先は旧道が終わってて、その先には旧の二居峠があったはず。
二居峠も難所だったみたい。


国道で向かうと三国トンネルの先に二居トンネル他のいくつもトンネルとスノージェットがあります。


急峻な上越国境の山々は、田中角栄が「三国峠を切り崩せば季節風は太平洋へ抜けて、越後に雪は降らなくなる」と言ったらしい。
土砂を日本海に埋めれば佐渡ヶ島を地続きに出来るとも言ったとか言わないとか。


本気で山を切り崩すべきと思ってたかは知らないけど、あの山のために豪雪に悩まされた越後。
もし切り崩したら、上越国境の中央分水嶺の谷川岳以南の上州も気候が変わるよね。


私は知らないんだけど、三俣から湯沢への芝原峠(トンネルあり)辺りを通った時にベテランスキーヤーの先輩が「ここらへんも道が良くなったわね」って言ったの。


私よりひと回り年上のその先輩、スキー歴は4〜50年、都内の駅(上野駅?)から週末に仕事を終えてそのままスキー列車に乗ってスキーに通ったんだって。
駅舎からスキー列車を待つ人の行列がはみ出してたそうです。
凄いね、その情熱。


さすがに旧三国街道を通って苗場やかぐらに行ってたはずはないけど。
現道も改修されて良くなってる。ひらめき
芝原の旧街道は災害でいつも通行止め。
徒歩なら行けるのか?と思いつつ、車窓から覗き見るだけ。


三国街道はその先、湯沢宿〜関宿〜塩沢宿〜(大幅略)浦佐・長岡、そして寺泊宿へ。


浅貝宿にも旧の街道は少し残ってて、群馬への帰路だと苗場スキー場近くの旅館御宿本陣前で現国道から左に分岐します。
(街道を上ったり下ったりバラバラですみません)



浅貝の旧三国街道。




左手に視線を移すと、もうずっと以前に閉鎖された苗場スキー場の浅貝ゲレンデ。
スキーブームの頃の苗場はえらい事だったらしいので、受け入れキャパを増やすために国道を挟んだ反対側にもゲレンデを作ったって事?


この辺りには昔は三国スキー場ってのがあったとか、二居には二居スキー場があったらしいとか、スキー歴が浅い私には知らない事です。


苗場がホームだった頃、ここで現役復帰した頃の皆川賢太郎さんが半分を貸し切りにしてチームでポールの練習してたのも見てます。
半分は一般開放で、お客は私1人だったり。
皆川選手は苗場の子で、ご実家はスキー場近くのペンション。




この先は途中にトンネル工事で出た土砂だか何かが積まれて途切れていて、三国トンネル入り口の横の『緑の回廊』には繋がってないはず。



あ〜、旧道はまだ続いてるのにストビューだとここで現国道に瞬間移動で飛ばされちゃいます。



ストビューをクルッと後ろに向けると苗場スキー場が見える。


こんなに広大で立派なスキー場なのに、なんでシーズンパスがあるのにわざわざこじんまりした浅貝ゲレンデに行ってたんだろうね。泣き笑い


大陸の某国人が少し増え始めた頃で平日でも混みがちだった苗場。
浅貝ゲレンデの貸し切り感はとても気分が良かったよ。


記憶だと浅貝ゲレンデはクワッドリフトだった気がする。
今は(見間違いでなければ)苗木を植林して森林の復旧をしてるようです。


私が苗場で滑ってた当時はもう隣接の白樺ゲレンデは閉鎖されてたので、浅貝だけでも滑れて当時の風景をぼんやりながら覚えてるのは良かったかなとも思う。
齢を取るとこんな事でも感傷的になる。