続き。
行きでは右左口トンネルの甲府側入り口すぐ手前が工事の片側通行で、夜中だし、着くのと同時に係員が青信号に変えてくれたからそのまんまスルーしてんですけどね。
この辺りは時間で変わる信号ではなくて深夜でも係の人が停止場所にいて、対向車がいなければこちらの一時停止を確認した後に手動で青に変えてくれます。
帰りはそこでの工事はナシ。
じゃあ停めちゃえって、脇の広い所に駐車。
この先は古道中道往還。
旧道の県道113(通称自衛隊道路)とは別の。
迦葉坂の峠道の1部、だと思う。
行ってみよう。
進むと左手に石碑。
そんなに古い物じゃない。
『わらんじを 代えて一ぷく 強清水』
右左口峠越えの人の喉を潤す湧き水があるそうです。
トンネル掘削で今は水は枯れてしまったと。
親孝行の息子が右左口峠を越えて毎日炭を売りに行き、帰りにはいつも父親の好きなお酒を竹筒1つ買って帰ってたのだけれども、ある日は炭が売れずにお酒を買うことができなかったために峠の中腹で湧き水を汲んで帰ったと。
父親には事情を話したけれど、その湧き水を父親が飲んだところ水ではなく諸白のお酒であったそうな。
孝行を褒めた神様が水を上等なお酒に変えてくれた。
養老の滝伝説みたい。
私だったら牛乳にしてくれると嬉しいです。
玉子は自前で用意してプリン作るぅ。😆
親が飲むと酒、子が飲むと水。
親はモロハク、子はシミズ。
⇒“強清水(コワシミズ)”と名付けられたとの事。
各地にある強清水ってこれと似た伝承が語源でしょうかね。
石畳がどこかに残ってるんですかね。
地元の歴史を後世に残すためのローカルかるたの句でしょうかね。
私が生まれた地元でこういうのありました。
でも、あれ?
水がない沢に阻まれて、これより先へは行けませんね。
ここを下ると地図の右左口宿の突き当たりに迦葉坂って書いてある場所に着くんでしょ?
どうやら中道往還は旧道の右左口峠ではなくてそれより西側の迦葉坂峠を通るらしい。
もちろんこの私ですから、右左口宿までもしも道が登山道として整備されていたとしても歩きやしませんよ。
少しだけ覗き見の予定でしたし、これより先には行けないなら戻ってあっちを見に行こう。
戻り始めて不自然な高台の平場に気付く。
何もないけど・・・。
振り返って。
石垣積んである?
崩れてるけどさ。
横から見ると、向かって右側(国道寄り)を盛って坂道の高低差を埋めて、この坂の脇に平場を作ったような。
向こう側は崖でした。
迦葉坂の峠への途中、大昔の茶屋かなんかがここにあった。としたら?
なーんて考えるとホラ、景色が脳内CGで草鞋履きの旅人や、駿河や遠江から塩や魚介類を運ぶ商人の姿とともに昔の街道が白昼夢みたいに頭の中で合成される。
まあ勝手な想像ですけど。
現道や堰堤の工事の時のただの資材置き場かもしれませんしね。
でも古い街道やそこに残ってる遺構でそんな脳内CGが発動する瞬間が好き。(〃∇〃)
古道を歩いて踏破しようとは全く思いませんがね。
ロードマップを見るだけで脳内ドライブが出来る(好き♡)のと同じ理屈かもね。🤣
国道に戻って反対側に渡って、トンネル入り口の左側にある古道の続きを覗いて見ることにします。
難所の右左口峠や迦葉坂峠を貫くトンネル。
中道往還のこの先の難所の女坂へは右左口峠の手前から分岐で、今は下をこの精進湖トンネルで通過します。
迦葉坂は柏尾坂とも、女坂は阿難坂とも言って、迦葉と阿難はお釈迦様のお弟子さんの名前だそうです。
迦葉坂と阿難坂の間には釈迦ヶ岳という山があって、お釈迦様の脇侍として迦葉と阿難がいる、それが名前の由来らしいですよ。
右左口トンネルの下の橋は迦葉橋でしたが、精進湖トンネルのすぐ下の橋は阿難橋と言います。
橋の名前も見て通るのも想像が膨らむ。
そういうのも私がドライブ好きな理由。
歩くのはキライ。
mapで済むならそれでいい。👅
地元住まいのアオちゃんパイセンにずっと以前に教えてもらった通りで合ってると思う。
うろ覚えだった消防署の先で信号をこっち、とかね、ちゃんと確認しましたよ。
こういうの、反対から来ると分かんなくなるんだよね。🤣
元プロドライバーのくせに方向音痴で。σ(≧∀≦)