こんにちは、みさっきーです。
6月1日~3日に行った被災地ボランティアの報告をしようと思います。
3日間を通して、本当にたくさんの気づき、学び、そして出会いがありました。
早慶戦観戦を犠牲にして、被災地に行ってよかったです。
私が被災地を訪れたのは、今回で2回目でした。
今回は、岩手県の陸前高田に行って、鈴木さんというおばあちゃんの、震災前は家が建っていた土地での、がれき撤去作業を行いました。
大きな瓦礫はほとんど片づけられていて、わたしたちは、ガラスなどの小さな瓦礫を集めました。
また、土地に生えた雑草やガマの草刈りをしました。
(おばあちゃんの大切な土地にカメラを向けるのは失礼だと思い、写真は撮りませんでした。)
落ちていたものの中には、ガラスのほかに、お皿の破片とか、タイル一枚とか、テーブルクロスのような布とか、実際にここで暮らしていたんだとわかる、生活のカケラがいくつもありました。
そこで、私たちは一様に「がれき」と呼んでいますが、おばあちゃんの大切な品々を「がれき」と言ってまとめてしまうのは、どうだろうと疑念を抱きました。
軽い気持ちで「がれき」と呼んでしまうことで、おばあちゃんを傷つけてしまうのではないか、と思いました。
このように、小さなことでも、相手の気持ちになって考えなければなりません。
異文化コミュニケーションにとても大事な視点ですね。
コミュニケーションに関して、ひとつ戸惑ったことがありました。
わたしは草刈りをしているときに、おばあちゃんのお話を聞きました。
「昔ここにはこんなお花が咲いててね」とか「早く高台移転して家を建てたい」とか「スーパーがなくなって、買い物が大変なの」とか、いろいろなお話をしてくれました。
そこで、わたしはおばあちゃんに聞いてみたいことがいろいろあったのですが、何を、どこまで聞いていいのか、わからなくなってしまいました。
私の質問で、思い出したくもないことを思い出してしまうかもしれない。聞いてほしくないこともあるだろう。でも話したいこともあるのかもしれない。
このような葛藤が自分の中にあって、もどかしい気持ちになりました。
その夜のディスカッションの時にこの話をしたら、みんなも悩んでいるようでしたが、「相手の立場になって考えてみる」という意見をもらいました。
でも、被災したおばあちゃんの気持ちは、わたしたちには絶対にわからないと思います。想像してみたとしても、完全にわかることはないのだろう、と思います。
皆さんは、これについてどう考えますか?
最後に、今回のボランティアを経て、無償で誰かのために何かをして、喜んでもらうことは、とてもうれしいことなんだ、と、ボランティアの本質・根本に立ち返ることができました。
すべての作業が終わった後、おばあちゃんは、わたしたちのことを「みーんな孫」と言ってくれました。
少しでもおばあちゃんを元気にしてあげられて、笑顔が見られて、純粋にうれしかったです。
この気持ちを忘れないで、これからもボランティアを継続していきたいです。