『ねぇねぇ、父ちゃーん』
小学6年生の娘が発した音声に
身構える。私は身構える。
これは何らかのおねだりが発動する前の枕詞である。
祝詞であれば「かけまくも、かしこき」と言ったところか。
大きく違うのは敬意の一欠片も込められていないところだ。
(ねえ↑ねぇ↓、イントネーションはこんな感じ)
『誕生日プレゼントなんだけど、ドレッサーが欲しいの』
『ねぇいいいでしょ?これが欲しい』
カッカッカッ、シューウ
ピンポン(私のラインの通知音)
「ドレッサーって何?」という私の言葉を遮るように
瞬速で楽天の商品リンクが届く。通知音のテンポも通常より早い気がする。
『これね引き出しもたくさんあって、ライトも付いてるから
ここで勉強できると思うんだ。イスもセットだし。』
『置くところはね、今あるテーブルは古いから捨てて
ベッドの向きを変えて、窓際に置こうと思うの。』
『でもちょっと高いから、クリスマスプレゼントとセットにして。』
『ねぇ、お願い』
娘なりにプレゼンをシミュレーションしてきたのだろう
淀みなく、ドレッサーとやらの使い道、置く場所の確保方法、
加えて、勉強も忘れていないんだよ、とアピールしてくる。
「ドレッサーて、鏡台のことか」
とりあえず、相槌がてらに独り言のように呟きながら
その楽天のリンクを開く
正面の鏡の周囲に配置されたLEDライト
多数ある引き出し
豪華そうなイス
いかにも女の子が欲しがりそうな逸品である
価格29,900円
はっきり言って、おねだりが発動した時点で
私の勝率はかなり低い
大魔神とか死神とかのストッパーというよりも敗戦処理である
メジャーリーグで野手がピッチャーをする感覚に近い
とはいえ流石に誕生日プレゼントに29,900円は高い
こいつ、兄がこの前の誕生日プレゼントでスイッチ2をもらったから強気に出てきているな、そうに違いない
しかし兄の方はスイッチ2の発売日が決まる前から
昨年のクリスマスプレゼントを辞退し
4月の誕生日にも何も貰わず
スイッチ2発売日には、自ら1万円を負担して
念願のゲーム機を手にしているのだ
待っている期間も、そのために計画的にお小遣いを貯めるなど
長期間にわたった取り組みのうえ、手にしている
(実質、両親の負担は3万円を超えてはいるが)
籠絡しやすい父を狙って簡単に手にしたわけではない
ちなみに、このクリスマスプレゼントとセットにして
明らかに予算オーバーしているものを誕生日にねだる
という手法は昨年娘が生み出したものだ
昨年、それで娘はAndroidのタブレットを手に入れた
兄である息子はそれをそのまま流用して、スイッチ2を手にしたわけだ。
この手法にも娘は打算を含んでいる。
兄も交えて昨年の事例を説明したい。
娘の誕生日は10月末
クリスマスは12月末
息子の誕生日は4月
息子がスイッチ2を手にするのは4月以降
(実際のスイッチ発売は6月だった)
当然クリスマスは終わっており、クリスマスには何も貰っていない(クリスマス時点で辞退すると言っているのでクリスマスが起点になる)
娘っこの場合はどうか
娘がAndroidのタブレットを手にするのは10月末
クリスマス辞退する旨を伝えて来たのが8月頃
起点は8月
ガバガバの父がなんだかんだ言ってクリスマスプレゼントを用意するには十分な時間が残されているのである
「まぁクリスマス我慢するって言ってたけど、何もないのもなー」
「そんなに高くないのだったら、何が欲しい?」
めっちゃ言いそう、私
娘っこは高確率でそうなるだろうと、ほくそ笑んでいたはずである
*息子はそんなことには全く気づいていない
しかし妻だけはそんな打算を見抜いていた
検非違使の登場である
《クリスマスプレゼントはないからね》と
忠告を繰り返す
誕生日の10月末、11月中旬、末、12月上旬、中旬と念の入れ用である(釘の数が半端ない、無限オプションでも付いてんのか)
《絶対に買ったらダメだからね!》と
当然私にも恫喝を繰り返す
どーせ、てめー黙ってたらなんか買うだろ、と言いたげである。
反論はない。あなたは正しい。
「かしこみ、かしこみ」と矛先がこちらを向きませんようにと
私は祈りを捧げた。
話をドレッサーに戻そう。
どうなんだろう、小学6年生にドレッサーなんて必要なのかしら?
考えてみる。
しかしそんなもの必要か必要でないか娘と議論しても仕方ない。
現に娘は欲しいのだ、要不要とか考えてない。
うーーーーん。
繰り返すが、ねだられた時点で私の勝率は低い。かなり低いのだ。
考えてみた結果、小学6年生の今だからこそ必要なのではないか、と思えてきた。
こんなもの欲しがるのは今の内だけだろう、、、
第1の砦は突破された。
あとは価格か。3万円ってどうなん。
いくらインフレって言ってもちょっと高すぎないかしら。
「ドレッサーってこれか。かわいいね。でもちょっと高すぎるなぁ」
『うん、そうだよね。いくらクリスマスプレゼントとセットって言っても3万円はちょっと高すぎるよね』
『こんなのもあるの』
カッカッカッ、シューウ
ピンポン(私のラインの通知音)
さらに届く、楽天の商品リンク
いちいちスマホを確認しなくてもわかる
娘っこの二の矢である
言われるがままにリンクを開く
形は先ほどのものと少し違う
しかし、スライド式の鏡に
鍵のかかる引き出し
ダイヤを模したクリスタルの取手
そもそもこっちの方が娘の好みではないのか
またやられた!
娘っこはタフネゴシエーター
ほぼ外資系なのである
私の楽天に表示される2万円ちょいのドレッサー
先ほどのものよりも価格はリーズナブルである
価格を理由にして、先ほどのドレッサーを蹴ったからには
もう受け入れるしかない。
クリスマスとセットで2万円程度のものを出されたならば
「これいいね」としか言えないのである
母であれば理不尽満載で、やっぱあかんと言えただろう。
それまでの議論など全てなかったものとして
やっぱ気に入らんからあかん、と伝家の宝刀を抜くのである。
母親の理不尽は法律で許されている。そうとしか思えない。
しかし父は違う。そんなことは言えない。
非論理的なことをするためには相応の覚悟が必要なのである。
こいつの人生が狂ってしまう、なんとかしなければ!
というときでないと、気にいらんあかん、は言えないのだ。
あとはもう娘っこにとってクロージングのようなものだ。
よほどの間違いを犯さない限りドレッサーは手に入る。
「まだ7月末だけど、本当にドレッサーが欲しいの?」
『うん、欲しいよ。気持ちは変わらない。』
『10月になっても欲しいのはドレッサー』
「棚のこと考えると机になるのは20センチくらいしかないよ
こんなので勉強、、、(できるの?)」
『うん、できるよ。大丈夫。勉強できるよ。』
こいつ遮って喋ってきやがった。
「こんなのもあるよ」
ドレッサーではないが、天板部分がオープンする
鏡内蔵のテーブルタイプ(10,000円程度)を見せてみる
『それは違うの。だめ。』
じゃんけんで言えば、娘はチョキ
父が何を出そうと、切り裂いて進んでいくのである
まぁ頼もしいこと。
はいはい予定調和でしょ、もう買ってくれるんでしょ、と
娘っこは詰んだ将棋の形作りに付き合ってくれる。
一応父は抵抗したという棋譜を残してくれるのだ。
時は流れて9月上旬
私はドレッサーを注文していた、楽天で。
妻は10月末の誕生日に対して早すぎると反対の意向を示していたが
ふるさと納税の駆け込みと楽天のマラソンを理由に押し切った。
(本当は例のカバンで得たポイントがそろそろ消滅しそうであった)
ふるさと納税の残り枠はすべて妻に捧げた。
(かしこみ、かしこみ)
大きな荷物が届くので配達日を妻と調整する
(私は単身赴任なので)
指定した配達日は9月20日、そう本日です。
仕事中に妻からラインが届く
1枚の写真と一言
《死ぬかもしれない》と。
そう、ドレッサーは自分で組み立てるのだ。
写真には、娘の部屋いっぱいに広げられたドレッサーのパーツ
ドライバーを握り締め、引き出し部分を組み立てている娘
そして、山のように積み上がった無数のネジが写っていた。
全体を写すために画角に苦労したのだろう
写真の視点は明らかに高い位置で
手前にほんの少し見切れた妻の足先が見えていた。

思わず「買ったのネジやったかしら?」と送るが
《ふざけないで》と返ってきた。
どうやらすでに相当格闘をした後のようだ。
妻は疲弊している。
その後、心ばかりの応援ワードを送るも返事はなかった。
4時間後、写真が届く
完成したドレッサーに座る後ろ姿
奥の鏡は満面の笑みの娘フェイスを映している
なんともニクい構図である
鏡を囲うLEDライトのおかげか、いつもよりも顔が可愛いく見える。
(ちょっとだけ)

結局、娘っこは頑張りはしていたがほぼ戦力外で
組み立てのほとんどを妻が担当したらしい。
お疲れさまでした。
私なら迷わず電動ドライバーを使うが
妻がそんなものを持っているわけもなく
全てのネジを手締めしたとのことであった。
うーん、配送日間違えたね。
しかし、私は今年もあと3ヶ月もの間
「そんなに高くないものだったら、何が欲しい?」を
我慢できるだろうか。不安である。言ってしまいそう。
そして妻はきっと今年も
今日のネジに勝る本数の釘を刺してくるのである。
そして妻と私の意見は一致する。
こんなもんで勉強なんて
できるわけがない。


