単身赴任先から久しぶりに帰宅をする。(車で2時間半の距離)
家族に会えるのは2週間ぶりだ。幸せの時間。
これがあるから仕事も頑張れる(頑張ってはいない)
 
久々の再会をよろこび、ご飯も食べて。
娘に何か欲しいものはあるか聞いてみたところ
なんと鉛筆が欲しいという答えが返ってきた。小学6年生である。なんと可愛い答えなのか。
しかもキャラクターの物などではない。ちいかわの鉛筆などではない。アクセサリーもついてなくていいのだと。
『三菱のカクカクした鉛筆がいい。2B』
さすが我が娘。文房具好きの血がちゃんと流れている。父親の無駄な嗜好が遺伝している。
私のコレクションをどのような使い方をされても何も言わず、英才教育を施してきた甲斐がある。
いいものね、やっぱり鉛筆は三菱だよね。某百均のような薄い鉛筆なんて使ってられんでぇい!!
 
というわけで、近隣のイオンへ行く。
文房具売場で鉛筆を探す。
探す、という表現にはなるが娘は鉛筆など探してはいない。
鉛筆は三菱などと殊勝な答えはしていたものの、
やはり文房具売場に来るとキャラクターものやシールなどを物色している。
今はデコボコしたシールを好んでいるらしい。
シール帳とやらもそういえば昨夜自慢された。


これいいでしょ、といった感じでデコボコシールを見せてくる。
鉛筆を買いにきたはずなのに鉛筆に目もくれない。探しもしない。関心がない。
さっき鉛筆コーナーあったぞ。
合理的でない。合理的ではない。だって鉛筆を買いにきたのだから。
そういう約束でイオンに来ている。
それを鉛筆などなかったかのように目もくれない。
父は嬉しかったのだぞ。欲しいものを尋ねたときに、おもちゃなどではなく学習で使うものだったことが。
それなのにどうだ。いざ来て見れば本来の目的などなかったかのような振る舞い。
ここは一言いわねばならない。世の中の不条理へ抗うとブログに冠するほどである。
その代表などと分不相応なことを言うつもりはない。けれど抗いのその一部であるという心意気は持っていたい。
我が娘へ物申す。
 





「へー、かわいいなぁ。こんなんあるんや」
 




何が不条理か。
娘と買い物をする、それに伴う出来ごとに不条理な物などあってたまるか。喜びである。
 
何が合理的でないか。
好きなだけ鉛筆以外を見るがよいのだ。鉛筆などもはや買わなくてもよい。
合理的でないことなど、あなたの母親と出会った15年以上前から星の数よりもたくさん見ている。
今このイオンの文房具売場で起こっていることなど瑣末な出来事に過ぎない。
これまでにも何度となく繰り返し起きている、とるに足らないような事象であるのだ。
なんならば最初から鉛筆買って終わりなどと思っていない。
スムーズに鉛筆買えるとも思っていない。
アカシックレコードを見たかのように、こうなることなど知っていたのだ。父は。

さあ娘よ、思うがままに文房具売場を闊歩するがよい。
そんな思いが交錯したとかしてないとか、現実世界に意識が戻る。
娘を見る。
 
でしょ、と父親からの肯定の言葉にまんざらでもない表情の娘。
 
「これ買う?(父が買ってあげるよ、さあ!)」
 
娘の間が少しあく。一瞬考え込むような表情を見せる。
『いや、いいよ。やめとく』
 
意外な言葉が返ってきた。喜ぶと思っていた。
そして刹那に見せたあの表情。
失敗したか?
娘はただ自分の好きなものを父に見せたかったのだ。
それを、愚かな父はモノをねだっていると受け取った。
鉛筆を口実にシールを買わせるつもりだったのだと、、、。
それがあの表情に現れていた。
ああ、娘の純粋な気持ちを汚してしまった。
娘はこうも真っ直ぐに育っているというのに。
父はいつまでも、モノを買ってあげれば喜ぶと安直に思っている。
ああ許しておくれ。父だって2週間ぶりに家族に会えて、平常心ではないのだ。
(これから一緒に過ごしていくうちに逓減していくが)今は愛情に満ち溢れているのだ。




 
潮時とばかりに娘は鉛筆コーナーへ歩んでいく。
(ちゃんとどの場所か把握しており迷わず行く。ずんずん行く)
 
これ、と鉛筆を手に取る。
おお、まさにそれは三菱のカクカクした鉛筆。
緑をベースカラーにしたなんのかわいらしさもない、保守的な鉛筆。
30年前から変わらない。
三菱の鉛筆を1ダース。持ってレジへ向かう。
昔はすぐに鉛筆をバキバキにしてたな、とか考える。
最近はプラプラしたリボンのついたキャップなどを備えて、トキントキンで管理している。
娘の成長を思い出しながら会計を済ます。
 
はい、と娘に手渡す。

こういう時、娘はちゃんと目を見てこう言うのだ。
『ありがとう』と。
しかしいつもと違う。目線がこちらに向いていない。
レジカウンターの向こう側、棚の上を凝視したまま動かない。




動かない。
 


動かない。
 




そのムーブを察知した店員さんが、その棚の上のモノを持って来てカウンターに並べる。
娘はフリーズしているのだが、そのムーブ。凝視するというムーブ。
それを察知した店員さん。まぁよくできた店員さんだこと。
 
ふふ、今日発売なんですよ、今なら全色ありますよ、と。
たまごっちである。
たまごっちを並べる、カウンターに。
おもちゃ売場とのレジも兼ねているその場所には、
本日発売のたまごっちが誇らしげに陳列されていたのであった。
娘は光の速さで手に取り、吟味を始める。
カウンターに置くやいなや。
As soon as
まさに緩急である。井川のチェンジアップの逆版みたいな。
 


娘はどうやらたまごっちが欲しかったらしい。
吟味している。吟味し続けている。
逆にスローモーションと見紛うほどの娘の俊敏さゆえ、あっけに取られた間があった。
わずかな時間ではあるが、
もはや自分の手中に収まったと錯覚してもおかしくないほどの時は十分に流れた。
私は出遅れたのだ。
 
答えなど分かりきってはいるのだが、欲しいの?と、聞いてみる
時間を稼いでみる
その間に娘の向こう側に控える嫁の表情を見てみる

OKの時の顔をしている
嫁は、たまごっちアリと口角で語っている
嫁の許可は下りた
 

娘は言う
『うん、欲しい。何色にしようかな』
待ってましたとばかりである。
もはやここから父が「あかん」と言うわけはない、と。
思考は色の選別にまで進んでいる。
たまごっちを父が買う・買わないの選択から、色の選択へ議論を飛躍させたのだ。
なんというタフネゴシエーター!
外資系か?うちの娘は。

店員さんは人気があるのは紫色であるという。
娘が狙っていたのはピンク色だったとのこと。
流行と自身の欲求とがチリチリと音を立ててせめぎあっていた。
 


娘は発売日を熟知していた。
知っていたに違いない。
だからこそのシール辞退である。
シールを買ってもらうことで、父ちゃん買って、の枠を消費したくなかったのだ。
あの一瞬の間は、これだったのだ。
たまごっちをねだるその時に、すでにシールを買ってもらっていたのでは都合が悪い、と。
あの沈黙に打算が働いたに違いない。
 


さすが我が娘である。
(デコボコシールはこの後しれっと自分のお小遣いから買っていた)
 


 
娘はモノを買ってあげれば喜ぶ。
この真理には抗えない。