薄々気づいてはいたが、禿げてきた。

41歳、潮時なのか。父親はもっと早くに禿げていた。よくやった方なのか。

名誉も何もないが伝えておきたい。髪の毛の総量は沢山ある。沢山あるのだ。

頭頂部も沢山あるし、美容院へ行けば毛の量が凄いですね、と言われている未だに。

しかし、しかしなのだ。

前髪が少ない。前髪の中央部分も少ないが、さらに前髪の両端が少ない。

Mの字。某有名漫画、戦闘民族の王子様のように両端が少ない。

これに抗う。抗いたい。抗わなければならない。

 

結論を言えば、抗った結果、生えてきた(と思っている)いや、生えてきたに違いない。

白髪も減ったように思える。産毛のようなものが生えてきているはずなのだ。

指の腹で前髪部分の頭皮をさわれば、チクチクを感じる。

これはもう生えてきたと相違ないような状態であると言っても過言ではないと判断できる。

 

そうしてくれたのは(これのおかげだとは言い切れないが)

MARO17である。このシャンプーは以前から使ってはいたが、今回ハゲを認めるに至り、コンディショナーも追加した。

そしてマッサージ。言葉は知っていたが、頭皮マッサージである。

湯シャン時にマッサージ。シャンプーしながらマッサージ。コンディショナーしながらマッサージ。

お風呂の時間が10分は長くなってるように思う。小さな容器に入れて出張時には持ち運ぶほどのMARO17。

頭皮が固くなるとハゲると聞いたことがある。自分の頭皮は柔らかいと思っていた。

しかしマッサージを始めてひと月、頭皮が柔らかくなった実感を持っている。

私の頭皮は知らず知らず固くなっていた。つまりハゲていた。前髪。M字。

 

鏡で見てハゲてきたと思う。感じている。明らかに本数が少ない。密度が低い。

抗いが必要であると感じている。

はっきり言って、この世で最も自分への美醜の基準が甘いのが私である。

鏡を見ては、映りの良い角度、写りの良い部分を見つけては褒めている。

そんな私がハゲを認めている。他人はもっと厳しい採点基準であるのは間違いない。

 

「ハゲたらスキンヘッドにするから良い」そんなことを言ってきたし言っている人も沢山いるだろう。

考えて欲しい。スキンヘッドにするくらいのハゲとは一体どこまでハゲた状態を指しているのだろうか。

前髪がハゲてきた私だからこそ言えるが、スキンヘッドに踏み切れるほど、急にそんなに綺麗にハゲない。

ハゲ始めから、ハゲ切るまで、醜く汚いのだ。急に思いっきりハゲた場合、スキンヘッドにできるだろう。

しかし、ゆっくりとハゲ続けていくその時、私たち人間はスキンヘッドにはなれない。

 

これこそが「スキンヘッドにする」と言っている人の数と世の中のハゲと整合性の取れない理由である。

誰しもが公言通りに行動していたら

もっとスキンヘッドが世の中に溢れているはずだし、ハゲ散らかしている人は少ないはずである。

それでもハゲを晒し続ける人は減らない。

スキンヘッドにするタイミングを逃し続けているのである。

おでこは広がり、頭頂部に穴が空いたようにカッパになっていてもサイドは残す。

ちょっとでも残す。ハゲほど散髪にも頻繁にいく。

 

ここで引用できるのがかの有名な「家に帰るまでが遠足」の理論である。

そう。ハゲ散らかしている人はまだ遠足が終わっていないのである。

学校を出発し目的地を楽しみ、学校に戻る。遠足のメインは終わっているがまだ家についていない。

「いやもう遠足終わったでしょ」という人もいるだろう。

しかし、まだ遠足は終わっていない。彼らはまだ家に着いていない。

一旦家の玄関に重い鞄を置いてきた人もいるかもしれないが、まだ家には帰っていない。

だからまだハゲ切っていない。家の近くの公園で時間を潰している状態である。

だって家に帰ってしまったら、ハゲてしまうから。

もう遠足が終わって、結構時間は経っている。小学生でいえば20時頃だろうか。

夕闇にのまれ、晩御飯の時間はとっくに過ぎている。それでも帰れない。

「あの子まだ帰ってきてないんだけど」「カバンは玄関に置いてあったけど」「どこ行ったんかしら」

そんな母親の声が聞こえてきそうである。

家に帰る=ハゲ切る、だから帰れない。認めないといけなくなる。


そんな気持ちを胸に秘めて、世の中のハゲ散らかしている人は今日もハゲている。