数日前の夕方。
心が躍るほどの
美しい夕焼け色が
空いちめんに、拡がった。
私は車を運転していて
わー、なんてきれいなんだろう
と、
心も体も魂も
わたしという存在すべてで喜んでいた。
そして、ふと、
「山形でこの夕陽を眺めるのも、
残り僅かかもしれない」
という、
自分で自分を驚いてしまうほど
あまりにもリアルで
確信めいた、
不思議な感情が湧き上がってきた。
と、同時に。
いつまでもいつまでもいつまでも
こどもたちと一緒に
同じ空の下で
キレイだね~って
感動していたい
とも思った。
で。
今なら、すこし、わかる。
どちらも可能性に過ぎないということを。
この二つの可能性だけが
私の人生に存在している訳ではなく
可能性っちゅーのは
私が気が付けない領域まで
無数に在ることも。
ひとつを選ぼうが
全部を試そうが
何も選ばないだろうが
なんだっていいんだよ
可能性の中から
選んだものを
私が
私の人生で
体験していくのだ。
偶然引き起こされた
現象があるかもしれないけれど
それさえも
自分が気づかない領域で
選んでいた現象なのかも
しれないね。
何を体験したい?
私はどうしたい?
死ぬまでぶっつけ本番の、
なんでもアリの人生を。
なんだっていいんだよ。
マジで、自由自在。
不安も悲しみも怒りも
大切な感情で
みんな誰もが持っているもの。
で、その感情があるからこそ
この地球というテーマパークは
面白いのかもね。
誰かが言ってた。
ポジティブ思考で蓋をしても
解決になどならない。
見て見ぬふりをしているだけ。
かっこわるくてなんぼ。
そこがすっげーかっこいい。
弱さに見える、強さ。
全部、全部、リスペクト。
10年前2006年
私が今、出逢っている
ほとんどの人と出逢っていなかった。
2006年のリアルの私を
知っている人は少ない。
そして出逢っている人たちの
10年前を
私はほとんど知らない。
10年後2026年
今の私を知っている人と
10年後の未来も
繋がっているのか
本当に謎だけれど
私がもし
FBとか、このブログをやめたとしても
なんかね、ご縁のある人には、
どこかで、また
会えると思ってるんだ。
音信不通になったとしてもね。
そこはとても信頼している。
会えても、会えなくても
どっちでもいい信頼
私のなかで
どうしているかな~って
ふと思い出したときに
何も繋がりがなくて
アクセスしようもなくても
ふと、思い出す
そう思える人は
やっぱご縁のある人なのだ。
(一方的に、かもしれないけれど^^)
FBって
誰かを思い出す前に
色んな人が現れるじゃない?
次から次へと(笑)
それもある意味
出逢いといっちゃ、
出逢いだけどね☆
これからの私。
山形からいなくなるかもしれないし
これからも、いるかもしれないし
ってか、、今も、山形に
いるんだかいないんだか
わからないけれど(笑)
どこにいても、宜しくね☆


P.S
ライアーとは関係ありませんが
2000年に良く聴いていた
静かな日々の階段を By ドラゴンアッシュ
なつかしい
光の照らし出す方に、開かれた未来目指すように。
花瓶に水をさすように、願いよ、叶いますように
