修験道~ひかりのみち~ | 時空を旅する冒険〜風の章〜

時空を旅する冒険〜風の章〜

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∞I AM THAT IAM∞汝自身で在れ♡汝自身を知れ♡汝自身を愛せ
神聖幾何学という世界から宝の羅針盤を受け取って、毎瞬変化し続ける未知なる冒険の旅へ✨


ちいさな子供部屋に

小3コウの友達が4人

遊びに来ていて

超にぎやかな事になっておりまする。

こんにちは♪

冒険ライフ☆NAOです。

(今日は一日休養しておりました^^)





さて、10月も半ばを過ぎ

それぞれの毎日が

色濃く豊かに

反映されている事と思います(^ー^)






「いつも自由でいいですね。」

そんなお言葉をいただきました^^







ええ、いつも自由ですとも(笑)









何事においても

どんな時でも

私たちは

自由と共に在ります。

自由は、自分の一部です。

外側にあるものではありません。

外側に求めるものでもありません。







修業や修験道へ進む人も、

畑を耕す人も、

会社勤めの方も、

バックパッカーも、

自由さの中で

それらを自ら選んでいます。






先日の靖国神社参拝。

あのことも

聖なるときの流れの中で

共に在られたことに

心から感謝しております。




ビルとビルの隙間の小さな空に

ほら貝の音や鈴の音が響いてゆく。

東京という町が

出羽の山々に変わる瞬間でもありました。





山伏や神子たちは

雨の日も、晴れの日も、雷の日も、

大自然に身を置き

自然と自分が一体となり

山々を淡々と歩き、修業します。

短い期間でありながら、私も

その世界を体験をさせて頂きました。




雨に濡れることや

さまざまな修業であらわれる感情に

いちいち「気を取られて」いる世界では

ありません。





現代を生きる私たちはどうでしょうか?

色んな事に「気を取られて」しまいがち。

いや、ちがう。

何か(自分にも、自分以外のもの、出来事、人)に

気を「取られて」いるのではなく、

自ら、気をすり減らしていたりする(笑)







雨は、ただ、雨が降っているだけ。

風は、ただ、風が吹いているだけ。

それがあるがまま、ということ

なんじゃないかな。




さまざまな事柄も然り。

そこに意味をつけ、

判断し、反応することで

自らの気をすり減らしていく。






修験道を経験した人の中に

「しんどい」の一言で

すべてを語る方がいらっしゃいました。

その方にとっての修験道の体験は

「しんどい」と

インプットされたのでしょう。

私が体験したものとは、違う世界。

そこに良いも悪いもなく

それもまた自由。






そもそも修行なんて

いかなくていい世界。

行きたい人が、

行けばいいのだから。





行かなくてもいい世界に

行きたい人たちが

自ら山に向かい

集まるのだと思っています。






修業=厳しいって聞くでしょ?

その厳しさって

どんな厳しさを

イメージしているのだろう?

まぁ、色々あるけれど

耐えるとか

我慢とか

実はいらないんだよね~^^







気は満ち溢れて来るし。

ぐんぐん歩いているのに

気がつきゃ、元気になっとる。

おもしろいよ~^^







修業中

禁止されているタバコを

吸っている方いました。

大先達は何もいいません。

ニコニコ笑っておられるだけです。

山の神様も何も言いません。

静かに見守っておられるだけです。

そう。

好きなようにすればいいのです。

誰も罰することはありません。

ただ見守っているだけです。

そこで何を選択するか

どう行動するか。

修業&修験道とは

そうゆう道

じゃないかな。

誰かに強いられるものじゃない。

自ら選んでゆくもの。

ラクなことも

厳しいように思えることも。

日常も同じじゃない?












何してもいいんだよ。

そして

何もやらなくてもいい。

自ら選べばいい。












自・・・おのれ、みずから、自分の、自分で、これ、

由・・・そこからでている、通ってくる。わけ、いわれ。









山伏って、昔は村に一人はいたんだって。

誰かが病気になったりすると

山伏がお祓いをしたり

山から薬草を取ってきて

飲ませたり、していたそうな^^

山伏の歴史、おもしろい^^

身近な人に山伏、いないかな~。

世界のどこかで

山伏や神子に出逢うのが

ひそかな夢だったりします☆





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