1月21日 マチネ
ミュージカル パレード
観劇してまいりました。





しんどいと巷で噂のパレード。
初演を観て衝撃を受けた作品。
再演のお知らせに迷わずチケットを取りました。


前回はいろいろに圧倒されてしまったのですが、今回は落ち着いて見れたかな。
あの時感じたインパクトは初見でないと味わえないものだったんだな、と改めて。
役者さんは錚々たるメンバー。
歌よし!演技よし!演出よし!!
だから突き刺さってくる。
いま、この物語はより身近に感じさせられました。

紙吹雪の演出とライティングが美しい印象があったので、前方よりは後ろめで観たいと思っていたので、SSは狙わずS席で。
取れたお席は段上がりの上手。
演者の迫力も感じられてなかなかGOODグッ
でもやっぱり2階からの景色も味わいたい。
なかなか追加は出来なくて残念。


あまりグッズは買わないほうなんですが、今回はコチラを。

パンフレットとミニタオルとジェリービーンズ。
タオルは大木のシルエットと紙吹雪。
パレードの群衆のシルエットと紙吹雪でもよさそうなのに、えぐ味をチョイスしたらしいキョロキョロ
ジェリービーンズは紙吹雪をイメージとか。
買わなかったけど他には英紙新聞風付箋というのも。
真偽不明でもネタを書き連ねて、目に付くところに貼れって事ですね?
新聞部分には何が書かれてるんだろ…
(当時の記事とかだったらやだなー)
前回は見向きもしなかったので知らなかったんですが、初演時は「おが屑コーヒー」なんてのも販売してたらしいえー
さぞかし苦い味がするだろうよ…ニヤリ
ホリプロさんはパンチの効いたやつ作るよね…

どうせなら、ロゴ入りビニール袋(ジップロックみたいな)を売るのです!
そして終演後に甲子園の砂のごとく、使用済み紙吹雪を詰めさせる(笑)
毎回処分してるそうなんで。
ごく一部の人には需要がある…かもしれない(笑)


以外、ネタバレありの感想
(ダラダラと書いてますあせる)


あらすじ

物語の舞台は、1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタ。南北戦争終結から半世紀が過ぎても、南軍戦没者追悼記念日には、南軍の生き残りの老兵が誇り高い表情でパレードに参加し、南部の自由のために戦った男たちの誇りと南部の優位を歌いあげる。そんな土地で13歳の白人少女の強姦殺人事件が起こる。容疑者として逮捕されたのはニューヨークから来たユダヤ人のレオ・フランク。実直なユダヤ人で少女が働いていた鉛筆工場の工場長だった。彼は無実にも関わらず様々な思惑や権力により、犯人に仕立て上げられていく。そんな彼の無実を信じ、疑いを晴らすために動いたのは妻のルシールだけだった。白人、黒人、ユダヤ人、知事、検察、マスコミ、群衆・・・・それぞれの立場と思惑が交差する中、人種間の妬みが事態を思わぬ方向へと導いていく・・・・。
(HPより)


真っ赤な背景に大木のシルエット。
スネアドラムの音に緊張が走る。
大木の陰から現れる若い兵士と片脚を失った兵士が歌う『The Old Red Hills of Home』
南北戦争で故郷のために戦った誇りを歌う。
敗戦したが「負けてはいない」という南部の人々の思い。
北部への負の思いやユダヤ人への差別意識が引き起こす事件。

1曲目からぞわっとする。
そして大量の紙吹雪の中、パレードに参加する民衆が現れる。
初見の時はただ綺麗だなぁ〜って見てた。
時にはおがくずに、落葉に、芝生と花々に見立てられ、終演までずっとある。
色んな場面で降り、どんどん積もっていく。
綺麗なんだけど、不穏な雰囲気。

北部出身のユダヤ人であるレオは南部の人々を見下していて、それは妻のルシールに対しても。
本当は住みたくなかったけど、いい仕事があると言われて南部に来た。
そんな感情が透けて見えてたんじゃないかな。
日常では余所余所しくもやり過ごしていたが、メアリーの事件を切っ掛けに住民達の負の感情が湧き上がってくる。
黒人の地位は低く「黒んぼひとり吊るしたところで」民衆の気は晴れない。
奴隷解放で生活を揺るがした北部人、しかも移民で成功者の多いユダヤ人であるレオは犯人に仕立て上げるのに恰好の獲物だったのでは?

裁判のシーンは本当怖ろしい。
作られた証言。
少女達は悪気なく嘘の証言をする。
ちょっと話を盛っただけ。
そんな軽さ。
それが人の生死を左右するなんて思ってもないんだろう。
ミニーは後ろめたさをちょっと感じさせながら。
コンリーは嘲るように。
(サカケンさんのソロは圧巻!)
今回は客席降りが無くなったようですが、ドーシー(禅さん)とワトソン(きーよさん)が歌で観客に「賛同せよ、正義の鉄槌を振り下ろせ」とばかりに圧をかけてくる。ひぃぃガーン
13歳で死んだメアリーは普通のおませな少女だったはずなのに、エンジェルと称され民衆を煽るネタにされた気がしてならない。
センセーショナルな出来事に日頃鬱屈を溜めていた人々は熱狂とも言える渦に飲み込まれていく。
真実か否かと疑問を持つこともなく。
人は都合の良いように解釈し、自分の信じるものが正義なんだよな。
ドーシーは意図的に誘導しているのがありありだけど、ワトソンは一市民の声って感じなんですよね。言葉巧みに、説得力のある声で扇動する。
まるでそれが真実のように感じてしまうんだよ。

外部の人間は史実としてレオが犯人では無かったと知り、冤罪であったと受け止めるが、アトランタでは今でもレオが犯人というのが真実と思っている人々もいるとか。
一度根付いた感情はなかなか覆すことができない。

2幕は夫婦に焦点。
石丸さんと堀内さんのガチンコデュエットがすごいキラキラキラキラ

レオが収監されてから、夫婦のあり方が変わる。
ルシールは南部出身の若いお嬢様で、自分を下に見ているレオに対しても「立派でもったいない」と憧れ目線で?控えめな女性。
夫婦仲はなんかおままごとチック。
ルシールは裁判に同席したくなくて逃げ出そうとしていたくらいなのに、夫の冤罪を晴らすために奔走し、いつしか強かな女性になっていく。
スレイトン知事のパーティーに乗り込んで陳情したり。
レオは長期に渡る拘束の時間に、ルシールへの感謝や愛しさを知る。
移送先の監獄でのピクニックは互いに愛しさを確かめ合う優しい時間で、その後に起こる悲劇を知っているので悲しくなる。

レオの処遇に不満を持った市民の私刑に合うというショッキングな結末を迎える。
犯人は自分だと言えば無期懲役で済むから自白を、と助け船を出す市民もいるが、同行はしたが目を反らすだけの市民も。
レオは有罪と思ってはいても、ここまですべきではない。
でもエスカレートしていく行為に異を唱える事ができない。
だって自分も標的にされるかも知れないもの。

「メアリーのため」と手を下すのがフランキーで。
愛する人のため、正義のためということなのか。
プロローグで♪奴らの嘘に神の報いを♪と歌う若い兵士とフランキーが同じ役者なのはなんともいえない…

そういや、レオがズボンを履いてない(パンツも)理由、やっと理解したニヤリ

レオの事件がメインだから、メアリーの事件の犯人については語られない。
(実際は犯人はコンリーと言われている)
作中でも『Feel the Rain Fall』の歌詞を聴いてると、なんとなく示唆しているようなかんじですよね?
サカケンさんのコンリーは飄々としているんですが、なんか人を小バカにしてるようで憎々しいチュー

そういえば再演ではブラックフェイスでなくなり、代わりに黒いストールを首縄のように下げている。
ブラックフェイスだったのか…記憶にないキョロキョロ(このへんが私の顔認識機能のポンコツ原因かも)
黒=黒人
ストール=繋がれた人(奴隷)
って事なのかな??

ラストシーン、たしか初演ではパレードから離れたルシールが、辛そうに顔を歪めて下手に走り去る…みたいなのだった気がする。
再演ではジョージアを讃える歌を下手で高らかに歌うフランキーを、悔しげな顔をで見つめ、涙しながら手の中の結婚指輪を握りしめる、みたいなのに変わってた。
クレイグとルシールの会話で、ドーシーが知事になってルシールはこのままこの地に住むのは耐えられないだろうという話に、「私は南部の女よ」と、このままアトランタに住み続ける事を言う。
初演のルシールだったら耐えられない気がする。

そうそう。
森山開次さんの振り付けも良くって、大旗を振るシーンが大好きです照れ


ところで、タイトルの「パレード」って、何を表しているんだろう?
「祭り」に沸き立つ人々が集まり熱狂する姿のことかな?
そして多くの人は祭りの後は何事も無かったように帰って行くのよね。


なんともずっしりと重い演目で、是非観て欲しい!と思いはすれど、なかなか勧め難いミュージカル。
ご興味ある方は、多少の予備知識を入れて、体調とメンタルを万全に調えて挑んで下さいウインク