昨年末の振り返りと、このごろのこと。② | なっつのブログ

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アラフィフ独り身、飲むのが好きなぐうたら女性の日記。

前回の日記を書いてから、もうまた1ヶ月が経とうとしています。


なんだかこのごろ、何かしようという意欲が以前より減ってしまっていて

中途半端にふらふらとしている毎日になっているなと感じています。


母の亡くなったときのことについて書き出しましたが

今となってはもう季節も変わり、そのとき感じていた感情も日常のなか自分は薄れつつあると感じてしまっています。


そのときそのときで必要な『時期』ってあるのに、わたしはいつも大体は面倒になったりしんどくなったりで、それを逃して遅れることが多い…というかそればっかり繰り返しているように自分では思っています。


ともあれ、記憶やそのときの感情が薄まってきているにしても、母のことについては続けてある程度書いていこうと思います。

自分の中でこれがひと区切りと思うところまで。


と…前置きが長くなりましたが、前回のつづきからです。


施設にいる母が急変の可能性もあると言われ、そう告げられた次の日曜には兄妹3人で揃って施設まで母を見舞いに行ったけれど、そこまで差し迫ったように思ってはいなかった、というところからです。



…兄妹3人での見舞いを終えてからの数日間。


師走ということもあり、兄妹それぞれで仕事の繁忙期を迎えていましたが


施設からは以後特に連絡はなく


兄のほうから施設へ連絡を入れて母の様子を聞く、という感じで

それによると母はまだずっと微熱が続き酸素吸入器をつけて寝ており、苦しそうだという事だったのですが(身体のどこかに炎症があり、肺炎も起こしているのが治ってはいないという事でした。)


ただ施設からの連絡がないということで、そこまで急変しない状態を保っているのかなとわたしは解釈しており、兄妹間のLINEでも『早く治ることを願うばかり』といった内容のことを書き入れていました。


そうしてわたしの職場では、師走の繁忙期の中でも1,2を争うというような忙しい日がやって来ました


その日は朝から出勤時間が2時間早まり、夜も残業確定の忙しい一日です。


いつもより早く起きて仕度をし出勤しようとなにげにドアを開けると

まだ日の昇っていない暗闇の中で、雪が降っていました。


そう言えば前日の天気予報でこの冬一番の寒波がやって来て雪が降る…みたく言ってはいたけれど、この地方都市は本当に温暖なところなので冬でも雪自体が滅多に降らないし


降ってもちょっと舞ったらすぐ終わり、みたいなことが多いし

(積もることもたまにはあるけれど本当に稀で、通勤にも困るほどの雪に遭遇したのは30年近くこの地方に住んでいてもあって4,5回くらいではなかったかと記憶しています。)


そう言ってても今年もそこまでは降らず終わるだろうとタカをくくっていたところがあったので


自分にとってはそれは予想外の光景でした。


この日の雪は、この地方で降るときによく見るような細く小さな粒の雪ではなくて

びっくりするくらい粒の大きなぼた雪で。


しかもそれが、ばさばさ落ちてくる感じで空からどんどん降り注いでくる。


自分の田舎はこの地方都市より標高が高い山あいの町なので、このくらいの勢いで降る雪も知らないことはないのですが

それも温暖化のためか小さい頃より後にはあまり見た記憶がなく。


…まだ通勤する人もそういない時間帯だったので踏み固められていなかったため滑らず大丈夫でしたが


ここでは本当に見ることのないくらいに雪がもう積もっていて


乗っていた自転車のタイヤがもこもこざくざくと音を立てて雪にめり込んで行くという

あまり感じることのない感触を味わいながらちょっと怖々と、仕事に遅れないようペダルを漕ぎ進めました。


合羽を着ていればよかった、と思うぐらい雪はよく降ってきて


自分の頭や腕、ペダルを漕ぐときに上がる太股にまでどんどん大粒な雪が乗ってきて積もろうとするので、ここでは冬でもまず使うことのないアウターのフードを被ったりして、ちょっと積もったら手で振り払う、みたいな動作をすこし繰り返しました。


…そして職場に着き、仕事場へ入り作業をしていると

ガラス窓の外が暗闇から明るくなってきましたが


明けてもあたり一面真っ白で雲もどんよりと厚く、雪は止む気配もなくまだまだ積もっていっていました。


すると建物の熱が積もった雪で冷やされるのか、いつもより建物内の空気や床もしんしんと冷え込んできて…


もともと作業場は天井も高く冷えやすいためインナーも二重三重に重ね着するしカイロなども貼っていましたが手足が冷たく


繁忙期の活気でみんなそんな稀な大雪や寒さのことをきゃっきゃと話題にしながら、バタバタと仕事をしていました。


そして繁忙期としてはまあ予定通りの、夜までの残業になり


終わったのは20時過ぎごろだったと思います。(もともと交代制でもないですし、20時になる残業は稀な職場です。)


みんなでロッカールームから出ておつかれさま、などと帰りの挨拶を交わしている時にいつものようにスマホを見てみると


スマホに着信を示す緑のランプが点灯していました。


電話の着信とLINEがあり、先にLINEのほうから見てみると


それは兄からで

『母が今日の午後に亡くなったと施設から連絡が入った』という内容でした。


電話の着信も兄からで、LINEを打つ前に

施設からの連絡があった間もなくに兄がかけて来たものでした。


私の職場では就業時間は自分のスマホの持参は禁止です。

兄のかけてきた時間はわたしの遅めの昼の休憩時間よりも遅い時間で

またもう母は亡くなってしまった後なので、急だと言っても会社の方の電話にかけて呼び出しまですることもないだろうと兄は判断したのでした。


今となっては『そうだったな…』と思い返すくらいなのですが


その時はそうなるなんて全然思っていなかったので

がやがやとみんなが会社の出入口に向かう中周りには聞こえなかったようなのですが


わたしはとても小さな悲鳴を上げていました。


兄妹揃っての日曜日の見舞いから、1週間も経ってはいませんでした。


母は、おそらく亡くなって数十分…もしかしたらそれよりもすこし長い時間のあとに、施設の職員に発見されたようでした。


誰ひとり母の死に立ち会うことはできませんでした。


こんなに急に亡くなるなんて、本当に思っていませんでした。

嘘のように感じたというか、ちょっと夢を見てるような気持ちになりました。

そこまで打ちひしがれる、というような感情ではありませんでした。

けれど急に自分の持ってる現実がぽろっとあっけなく壊された感じでした。

茫然とした、という表現が近いのかも知れません。


…もしここまでおつきあいくださったかた、いらしたらありがとうございます。


これ以上書き直しをし出すだともう上げられないと思うので、前回の日記と同じくでそんなにきちんと見返せてはいませんが、これで上げることにします。


あと何回続けて書くのか自分でも全然わかりませんが、おそらくまだ数回続くと思います。