昨年末の振り返りと、このごろのこと。 | なっつのブログ

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アラフィフ独り身、飲むのが好きなぐうたら女性の日記。

日記を書くのに、自分にしてはそこそこな間が空きました。

というか何度か書こうとはしたんだけれどただただ、長文になってしまいまとまらず…書ききれないままで投稿できずに時が過ぎていました。

投稿できそうかなというところまで書いたこともありましたが
それもクリップボードに保存し忘れ消えてしまい、書き直しです。
(↑私のスマホはメモリの都合でブログアプリが入れられず、また古さのためか編集途中での保存ができません。)

…昨年末からの振り返り、そしてこのごろのことについて書こうと思いますが
今回なんとか書ききれるといいんだけどなあ。

どうだかわからないけどまあ、書いてみようと思います。

では、もうわりと前の話になってしまいましたが
昨年末の振り返りから。

…といっても暗めの話題になるので、苦手なかたはスルーされてください。


昨年末、母が亡くなったことから書こうと思うので…。


では、昨年末のこと。

…昨年末。

この地方ではほんとうに滅多にないような大雪が降った日に、母が亡くなりました。

母は…5年前に父が亡くなったその半年後に具合を悪くし倒れ、実家でひとりで暮らすことがもう困難になり
兄妹で話し合った結果、田舎の施設に入れることにし、以後ずっとその施設で過ごしていました。
そしてその中で亡くなりました。

80代の前半だったので、亡くなったのもそこまで早い歳ではないとも言えるのでしょうが

現在女性の平均寿命は80代の後半だし
子どもである私たち兄妹三人とも、どこかのんびりした雰囲気のある母は90歳くらいまで…とにかくもっと長く生きるんじゃないかと思っていました。

そして私はアラフィフですが三人兄妹の一番下で、母も当時にしては結婚が遅かったほうなので
周りの同級生と比べたら両親とも他界してしまったのがすこしだけ早いほうになったかも知れません。

…昨年師走のとある日。

母を預けている施設との窓口係をしてくれている兄から連絡が入りました。

施設から、母が具合を悪くしたという知らせが入ったとのことでした。

その知らせの数週間前だったか、母が施設内でコロナにかかったという連絡も入っていたけれど、それはワクチンを打っていたこともあってかその数日後に治ったのですが

その後でまた何か具合が悪くなったという事でした。

けれどそれもまたその数日後には兄から連絡が入り
そこからは回復して話したり食べたりできるようになった、ということで…よかったと思っていましたが

またさらに数日後に、再度熱を出したという連絡が入り
施設に往診した医師の言うことには、このまま熱が続いたら、高齢なので急変の可能性もあるということで

そう言われた次の日曜日には、兄が姉と私に声をかけてくれ
時間を会わせ三人で一緒に母を見舞いに行こうということになりました。
(↑この頃もまだコロナの感染者数が多く、三人が別々で行くと施設の迷惑になるとも考え、三人一緒にまとめて行こうとなりました。)

…そして(兄妹三人がそれぞれで母に面会に行くことはあったものの)久しぶりに三人そろっての母のところへの見舞いとなりました。

私は兄の車に乗せてもらい、姉は一人で車で向かって…ともに田舎の施設に着き、母の部屋を訪れると

母は酸素吸入器をつけ眠っていました。

けれど私達が来て母に声をかけ話をしだすと、それに反応しているように見え

細く白目だけがうっすら見えていましたが

それは目を開けようとしても睡魔に襲われ抗えないといった感じで
夢うつつな中、必死で目を覚まさなくちゃと思っている様子みたいに見えました。

姉が、『手を握ると握り返してきた』と言ったので私も母の手を握ってみると

力自体は弱いのだけれど、そこにはなにか必死なような意思を感じられるかんじで、手を握り返してきました。

けれど私は

兄も姉も忙しいのだし(二人とも休日も当たり前のように仕事をしていることがしばしばです。)
この施設にもいつまでもいるわけにもいけないし…とかそんな体裁ばかり考えていて

ある程度の時間で見舞いを終えなくては、とかそういうことばかりが気になって
実際にはどれくらいの時間だったのか…握っていたその手を離したのですが

あとで思うと、もっと長く手を握ってあげればよかった、と思いました。

けれど時間のことも現実あるにはあるしで…見舞いは終え

そのあとは兄妹三人で施設の近くの飲食店で食事をしました。

別にその時の会話は、ふつうに仕事の話や兄や姉の家族、子供の話や生活の話など…
三人で一緒に食事をするのも久しぶりだし、楽しく会話をしました。

というのは、兄や姉は母が亡くなる場合も考えてはいたようですが、施設からもそこまで深刻な状態のようには説明はされていなかったので

私も、そしておそらく兄も姉も、まだ母はそこまでもの状態ではないと思っていたからです。

色んな会話をし、食事を終えて姉とわかれたあとは、私は兄との車の中の会話で『早く回復するといいのに』と言い
兄も『そりゃ俺もそう思ってるよ、でも覚悟はできてたほうがいいからね』と

それはまだ兄ももしもの事は考えておいたほうがいい、といった感じで言っていて
それはまだもうすこし先の事だと思っているニュアンスが感じられました。

…と、長文になるためここで一旦置きます。

ここで置かないと、また書いても考えすぎてまとまらず二度と上げられないような気がするので。 

つらつらとした自分ごとですが
おつきあいくださったかた、どうもありがとうございます。

つづきもうまく書けずに途中で終えてしまうかもしれませんが、それなり自分の書きたかったことのいくつかをまた書いていこうと思っています。