母のグループホームは担当者さんが、ひとりついてくださるシステム。
数年間で5人、担当者さんが代わった。
代わるタイミングは、今まですべて担当者さんの退職。
退職された方の思い出を、時々母と懐かしんで会話している。
そんな話ができるのも、母の記憶がいい状態で保たれているから。
心療内科の先生、ありがとう
今の担当者さんは今までで一番若い。
だからか?少し、反応が違っている。
先日、母と担当者さんと私で、心療内科の担当医の話になった。
最近の診療結果を伝えるためもあったので…
その時の話
母は覚えているのが嬉しくてなのか?いつも言うセリフですが
○○先生って言うのよ。
担当者さん:そこは知らないから
と返答。
今までの担当者さんは、そうだね○○先生だよね。
いつ会って(受診して)きたの?
など話が広がっていく。
初めて聞いたとしたら、
そうか○○病院の○○先生ね。など覚えなくても復唱してくださったり…
そういう返事が多かったから
そういう反応を私も予測していた。
そこは知らないから・・・
見えないシャッターが閉まった気がした。
でも、少しわかる気もした。
前回のブログ こちらから
に書いたように、私もすごく頑張っていた時もあったし、
そのあとは鬱々としていた時もあった。
施設から帰る道中、若いスタッフさんのことを考えた。
仕事とはいえ、介護は大変だと思う。
若いスタッフさんは、心の防衛をしているのではないか?
私もしたように。
自分が望むのは、長くみんなが母に関われること。
心がすり減っているときは、それを認めて受け入れること。
若いスタッフさん、日々自分を労わりながら
携わってほしいなと思った出来事。