看護師をしていて、思う一つは・・・
終末期・亡くなる時にもう少しあんなことをすればよかった、こんなことをすればよかったと後悔することがある・・・
例えば・・・
あの時もう少し側にいてあげたら?と家族に声をかけてあげてあげれば最期を一緒に迎えることができたんじゃないかな・・・
あの時体位変換しなかたらもう少し長く生きれたかな・・・
最期なのに痰取らないとダメかな、苦しい思いするだけじゃないかな・・・でも痰取らないと余計に苦しいのかな・・・
愛人の人の方が親身になって付き添ってるけど、最期に一緒にいるのは本妻だけど・・・本人や愛人はどう思ってるんだろう・・・
数えだせばきりがない・・・
完璧ななくなり方はないのかもしれないなって思う
家族にはなんだかんだ理由を付けて、最期一緒に過ごせてよかったねとか苦しまずにいけてよかったねなどとよかったねっていうことをアピールして声掛けするけれど、、、
本当はもう少し痛みをとってあげれたんじゃないか、あの時家に帰りたいって言ってたけど在宅で過ごさせて上げれればよかったんじゃないかとか看護師としては後悔を感じたり、葛藤したりなど複雑な気持ちの時がある、、、
祖母が施設で亡くなった時に施設職員さんに「苦しくなさそうでよかったです」(←ちょっとだけ気遣い)といった時に、「痛そうにしてましたよ」って言われたときに、たとえそれが本当のことだったとしてもそんなこと言わなくてもいいのになと思ったりしたこともある。
もう何年も経つのに覚えてるから、本当に「余計な言葉」だったんだろうなと思う・・・
家族としてもどんなに精いっぱい介護してもあの時ああすればよかたっとか、この時こうすればよかったんじゃないかっていう後悔を感じないことはない。でも、最後に病院で側にいた看護師など医療関係者に「よかったね」という言葉をかけてもらえると救いになるんじゃないかと思ってそういう声掛けをするようにしている
家族は医療関係者に救われるかもしれないけど・・・
医療関係者は誰に救われるんだろう・・・
家族からの声掛け??それとも同僚??
そういう時に大切なのは「グリーフケア」
グリーフケアとは大切な人や存在を失った悲しみに寄り添い、その回復や立ち直りを支援するケアのこと。
これは家族に対してもそうだけど同じ医療関係者に対しても大切なケアになってくる。
無理に悲しみや辛さを忘れるのではなく、悲しみや辛さと共に生きるすべを支えるケア。
それがお互いに辛い気持ちや悲しみを語り合うのでもいいと思う。
悲しみや辛さを押さえつけるのではなく、尊重する乗り越え方。
終末期にかかわる医療関係者の心はやっぱり少しはすり減っていく。
終末期になると家族もピリピリするし、本人や家族から心無い言葉を掛けられることもある。
辛いときに暴力を振るわれることもある。
そんなことあるかな?って思う人もいるかもしれないけど、実際に問題にはならないだけで暴力的になることもあるし、暴言を浴びせられることもある。
そういうことを乗り越えられるように語り合うってすごく大事だと思う。
家族や友人たちのグリーフケアは親族や友人で語り合うことで乗り換えられると思う。
でも医療関係者のグリーフケアは誰がしてくれるんだろう??
忙しく、目まぐるしく過ぎていく日々の中で医療関係者の心がすり減らさずに過ごしていけるように、管理者の方やベテランの方には職員の方のグリーフケアを促進できるように関わっていってあげてほしい。
結構ぎりぎりで働いている医療関係者の方は多いんじゃないかと思う。
この人はずっとこの病院で働くんだろうなって思う人が辞めていったり、メンタル強そうに見える方が急にお休みしたりなど、「予想外」のことが起こることもたくさんある。
医療関係者の人は医療関係者に厳しい傾向にあるなって感じるので、どうかお互いに労わりあって、なにごとも「あたりまえ」って思わずに過ごしてほしい
「今」はやっぱり奇跡的なんだと思う
働いていることや、楽しく旅行できていること、家族が死に目に立ち会えること、病院のベッドで亡くなることができること・・・
一瞬は奇跡的なんだと思う。
そこをお互いに少しだけ意識することで「救い」があるんだと思う
「救い」を大切にしていってほしい・・・
そう願っております。