住居野丹生神社(すまいのたんしょうじんじゃ)
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住居野丹生神社
御祭神 丹生都比売命
鎮座地 埼玉県児玉郡神川町大字上阿久原1377
住居野の丹生神社は、群馬県と埼玉県の境にある神流湖の、下久保ダムから少しずつ放流される神流川が、山際に当たって大きく北方向にU字に流れを変えるその東側、山際の奥の山中の僅かな集落にあります。
斜面上に舞殿が見えます。
斜面上には一塊の集落があり、その西端に境内があります。
社殿前の鳥居は朱を塗りなおし、
台石の上のコンクリート製の根巻は左右アンバランスな高さですが、木製の鳥居を修復した際に、絶対に倒れないようにしようと考えた地域の方たちの気持ちが表されているようです。
神泉村指定民俗資料(神川町指定無形民俗文化財)
「住居野の獅子舞」
※写真は神川町HPより
丹生神社の獅子舞(ささら)は、流名を「天下一角平流」と称し、五穀豊穣、厄除けのため、住居野鎮守丹生大明神境内において行われ、続けられています。
現在の舞殿
グリーンのシートで閉じられています。
白い漆喰の部分に白いパネルが張られ、修復の跡が見られます。
境内は獅子舞のための十分な広さがあります。
この行事は江戸時代以前から行われていましたが、文化二年(1805)火災のため獅子並びに記録その他を焼失し、定かではありません。
しかし、獅子頭を再彫刻し、獅子舞はその後も続けられました。
明治十四年(1881)再び火災に遭い、現在使用されている獅子頭は明治十九年(1886)再々彫刻したものです。
(境内案内板より)
「丹生都比売命」とは
丹生大明神は高野山四社明神のひとつで、天照大神の妹であり、天下万物の母、生長と養育の恵みの神といわれています。
姉の大日女姫は後に天照大神と呼ばれる女神の原型となり、妹姫の稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、丹生都比売神の原型となりました。
境内神域と道路の境にある石祠や石像
当時、露出した水銀鉱脈を見つけては採掘していた丹生都比売命を奉ずる人々は、九州から鉱脈を求めて三重、岐阜、長野、静岡、千葉、群馬へと鉱脈を求めて移動して来ました。
その移動ライン以外では、天孫族の勢力、物部氏の勢力、出雲の勢力が大きく、丹生都比売神は祀られていません。
恐らく別の金属採掘の一族がいたことが予測されます。
社殿前の、一基だけの石燈籠と巨樹
その後、新しい鍛冶技術の伝播や、水銀鉱床の枯渇から、丹生神を奉ずる多くの人々は農民として民草の中に吸収されて行き、丹生都比売命から罔象女神さらに雨師(おかみ)へと変遷して祀られるようになっていきました。
(サイト「神奈備にようこそ」参照)
社殿前の御嶽山大神石碑
丹生都比売命は記紀には出ていない神であるため、詳細は分からないというのが本当なのですが、諸説ある中で、丹生都比売が稚日女姫だとすれば、古事記の「天照大神の天岩戸隠れ」に登場する服織女だとされています。
境内から見える東側の集落の様子。
雲間の朝陽と、霧の向こうの山と鉄塔。
丹生神社に限らず、自分たちの住んでいる地域の小さな神社が、地域限定の産土神さまかと思って調べてみると、記録に残っている歴史から、神話の時代まで遡ることができたりするので驚きます。
(個人的な感想です)
※写真は令和二年(2020)九月七日に撮影したものです。