赤城の里の小さな「赤城大明神」 | こにの神社参詣記

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赤城神社「正一位赤城大明神」

☆☆☆

御祭神 赤城大明神(推定)

鎮座地 群馬県桐生市川内町五丁目2352-1

 

周囲の風景

群馬県桐生市川内町五丁目の赤城神社「正一位赤城大明神」は、静かな山間にある神社で、朝早く到着して境内でボ~っとしていると、地域の方が歩いて来る足音や、お隣同士でお話ししている話し声が聞こえてくるような穏やかな環境の中にあります。

 

二段積みの石垣の上に社殿があります。

赤城神社は、本来の赤城大明神を主祭神とする神社と、豊城入彦命を主祭神とする神社の二系統が存在します。

群馬県内には「赤城神社」という名前の神社が118社、日本全国では334社あったとされます。

赤城神社は、関東一円に広がり、山岳信仰により自然的に祀られたものと、江戸時代に分祀されたものがあります。

 

境内右側の石碑

赤城山南麓の赤城神社の御祭神は、かつては赤城山の中心を境として東西で異なる分布を見せていました。

明治初年の群馬県の神社明細帳をみると、東から南にかけて大己貴神が、南西側には豊城入彦命が祀られています。

これは東西二社であった三夜沢赤城神社に起因し、東西で自社の影響下にある分社を把握していたためと見られています。

三夜沢の東宮は大己貴神を祀り、西は豊城入彦命を祀りました。

 

石燈籠と御神木

赤城山は、古代から上野国の霊山として自然崇拝の対象となり神が宿ると信じられてきました。

群馬県前橋市の三夜沢赤城神社境内近くの山中にある櫃石などから、当初は赤城山を望む遥拝施設や祭祀場だったと思われますが、上毛野氏が上野国造に就任すると本拠の近くにその施設が設けられ、次第に神社として体裁が整えられ中央にも格式の高い神社として認識されていったと考えられています。

 

境内左端の石碑

垂仁天皇(紀元前29~西暦70)又は景行天皇(西暦70~130)の御代から続く地元神「赤城大明神」は、上毛野氏の祖神である豊城入彦命に入れ替わり朝廷の支配が確立していきました。

赤城神社は「六国史」や「延喜式神名帳」に名を連ねる一方で、当初祀られていたと思われる赤城神の神名が失われ、代わって上毛野氏の祖神である豊城入彦命が祀られるようになっていきました。

 

赤城山山頂の「大洞赤城神社」

「延喜式神名帳」に載る「赤城神社」の論社と考えられる、群馬県前橋市富士見町赤城山の「元宮(大洞)赤城神社」は、山頂が開発された大同元年(806)に創建されたものです。

 

前橋市三夜沢町の「三夜沢赤城神社」

前橋市二之宮町の「二宮赤城神社」

同じく論社と考えられる前橋市三夜沢町の「三夜沢赤城神社」は、同じく論社である前橋市二之宮町の「二宮赤城神社」の奥之院又は山宮が発展した西宮と、神仏習合が盛んになった以降に成立した東宮が合祀したものと考えられています。

 

拝殿

歴史書に記されている「赤城大明神」は赤城山の神のことです。

その本源は、赤城山を神体とする、山岳信仰に端を発する神社です。

山頂(富士見村)の神社と麓の神社は、山宮と里宮の関係を成します。

仏教の伝来は神仏を習合させ、修験者は全国の山深く修行の場を求めて入山しました。

彼らによって信仰の中心は、里宮より山宮へと移って行きました。

「神道集」には、赤城大明神縁起として、山頂の赤城神社が事細かに紹介されています。

 

本殿覆屋左側の石祠

戦国時代に北条氏は、里宮の神社を滅亡させ、江戸時代に再興されるまでに、永い時間を要しました。

江戸時代初めまで、三夜沢の赤城神社は「三夜沢村明神」を祀る村の神社でした。

慶安二年(1649)厩橋城主酒井忠世は、五十石を「三夜沢村明神」現在の赤城神社(三夜沢町)に寄進しました。

復古思想の影響を受け、崇神天皇の皇子・豊城入彦命を主祭神とし赤城神社と改め、宝暦十二年(1762)正一位に叙せられました。

反本地垂迹説を主張し、延喜式内社本社を主張、赤城神社総本社を自称し「卑しき山霊の神」として「赤城大明神」とは一線をひきました。

 

拝殿内の様子

昭和に至り、国幣社への昇格運動が盛んになりましたが、豊城入彦命を主祭神としたのでは赤城神社の歴史と異なるとの指摘を受けました。

昭和十九年(1944)、国家神道下の内務省神祇院は、三夜沢の赤城神社に「赤城大神」として、赤城山の神を合わせ祀り、他の赤城神社(富士見村)と歴史の共有性をもたせ、富士見村(元宮)・三夜沢町・二宮町(旧里宮)の神社をあわせ、国幣中社とするとしましたが、終戦により実現はしませんでした。

 

「赤城大明神」は赤城山の神のことです。

その本源は、赤城山を神体とする、山岳信仰に端を発する神社です。

「赤城大明神」の神額は、本来の赤城大明神を主祭神とする神社の痕跡として現在でも赤城山麓に残っています。

(サイト「ご先祖さま」及び「Wik」参照)

 

 

※写真は平成三十年(2018)六月六日に撮影したものです。

 

 

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