連日報道されているオウム事件のこと | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。

 人々の心に重い石のように覆いかぶさったこの後味の悪い連続死刑。みんなどう受け止めたら良いのかそれぞれが戸惑っていることだろう。中には無関心な人もいるかもしれないが、多くの人はもやもやしたものが心にかぶさり、嫌な感じを残したまま時が風化させるのを待つしかないのだろう。

 

 私は友人や知り合いが拘留された時は接見にや差し入れに全く抵抗がなく、いつでも率先して差し入れに行く。可能なら接見も行く。普通は周囲の人はびっくりして尻込む。でも私は誰がどんなにドン引きしていても平気だった。なぜなのか?

 

 自分を振り返ってみると、幼い頃から拘置所へ毎年通っていたことをフっと思い出した。自分はクリスチャンで通っているキリスト教会では、牧師が拘置所の教誨師として活動をしていた。そして小学生だった私は毎年クリスマスになると同じ教会学校の他の子供達(10〜20人くらい毎年いたと思う)と共に拘置所へ牧師と一緒に同行して、受刑者全員の前で(ステージみたいな壇上だった)子供賛美歌を歌った。そのあと壇上から降りてアンパンを受刑者一人一人へ手渡しで差し入れするのが定番だった。受刑者の方々は「お嬢ちゃん、ありがとうね」とニコニコして頭を撫でてくれた。どうして、こんな人の良さそうな人たちが悪いことをしてしまったのだろうと、子供心に思っていた。

 

 戦争もテロも人に危害を与える。人は二面性、いやそれ以上に様々な顔を持っている。人は慈愛に満ちた存在でもあるけれど、他者に残虐な行為を平気でできる一面も併せ持つのだ。みんなが自分の中に二面性を持っているこいうこと。

 

 そして良い面を引き出すのは紛れもなく他者に依存するしかないのかもしれない。