訪問看護師はミタ

訪問看護師はミタ

訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。


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「別れは小さな死(Patir, c'est mourir un peu.)」というフランスのことわざがある。ご縁が切れたら、自分の中でその人と一緒に歩んだ人生は終わる。そこから先は一緒に歩めない別の人生になる。本当にその通りだ。

 

人生を積み上げるのは別れの数が増えて、歳を取るほどに「さよなら」の体験をたくさん受け入れなければいけない。長生きするほどに、何度も「小さな死」を受け入れていかなければならない。うちの100歳まで生きた千代ばあちゃんも、仲良しだった従姉妹や友達を亡くす経験を次々としながらも、受け入れて生きて行く姿と生き様をいつも見せてくれた。「長生きはつらいわ」と時にはぼやいていた。

 

若くして亡くなるのも辛いけど、長寿なら幸せなのかというと、どうなのだろう。でも、せっかく賜った「長生き人生」なのならば感謝して幸せに生きたい。小さな死を受け入れながらも、したたかに生きていけるのが一番なのかもしれない。


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 人々の心に重い石のように覆いかぶさったこの後味の悪い連続死刑。みんなどう受け止めたら良いのかそれぞれが戸惑っていることだろう。中には無関心な人もいるかもしれないが、多くの人はもやもやしたものが心にかぶさり、嫌な感じを残したまま時が風化させるのを待つしかないのだろう。

 

 私は友人や知り合いが拘留された時は接見にや差し入れに全く抵抗がなく、いつでも率先して差し入れに行く。可能なら接見も行く。普通は周囲の人はびっくりして尻込む。でも私は誰がどんなにドン引きしていても平気だった。なぜなのか?

 

 自分を振り返ってみると、幼い頃から拘置所へ毎年通っていたことをフっと思い出した。自分はクリスチャンで通っているキリスト教会では、牧師が拘置所の教誨師として活動をしていた。そして小学生だった私は毎年クリスマスになると同じ教会学校の他の子供達(10〜20人くらい毎年いたと思う)と共に拘置所へ牧師と一緒に同行して、受刑者全員の前で(ステージみたいな壇上だった)子供賛美歌を歌った。そのあと壇上から降りてアンパンを受刑者一人一人へ手渡しで差し入れするのが定番だった。受刑者の方々は「お嬢ちゃん、ありがとうね」とニコニコして頭を撫でてくれた。どうして、こんな人の良さそうな人たちが悪いことをしてしまったのだろうと、子供心に思っていた。

 

 戦争もテロも人に危害を与える。人は二面性、いやそれ以上に様々な顔を持っている。人は慈愛に満ちた存在でもあるけれど、他者に残虐な行為を平気でできる一面も併せ持つのだ。みんなが自分の中に二面性を持っているこいうこと。

 

 そして良い面を引き出すのは紛れもなく他者に依存するしかないのかもしれない。


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 灯火は高く掲げるほどにたくさんの人を照らす。聖書の言葉に「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)とある。灯火とは時に道しるべになるものであり、絶望からの希望を見出す力であり、また、命そのものを表現する言葉である。

 

 他にも聖書には(聖書マニア・笑・すいません)「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く」。 「ともし火」は聖書の昔の世界ではオリーブ油などの油を、日本の行灯と同じように、ともしび皿というものに入れ、そこに芯を入れて火をともしていた。

 

 日本の昔話にはその油を狐がペロペロ舐めにやってくるなどといった寓話もある。灯火は、日本でも江戸時代以前の昔の唯一の照明道具でもあった。電気も何もない時代に夜を人工的に照らす唯一のものだった。お皿に油を入れて何らかの芯に火を灯し、燭台や行灯と呼ばれるような高い台の上に置いて家の中を明るくした。それは唯一の灯りの手段だった。仄暗い電気の光とは違うほんのりした黄色い灯り。だからこそ、その火は、一番居室を明るくできる高い位置に置かれることが多かった。

 

 聖書の言葉にあるようにその灯りを、「穴蔵の中」や「升の下」に置くなんて考えられもしないことである。もしそのようなことをすれば、当時高価だった油は役に立たず、せっかくの尊い灯りは誰も何も照らすことが無い。
 

 聖書の中でイエスは何が言いたかったのだろうか?‥‥。灯火を掲げることは自分だけではなく、他者も照らす。そしてその高価で高貴な油は皆を照らす希望になる。真っ暗な深夜のような世の中でも、もしあなたが灯火を灯す力を持っているなら、ぜひ自分のためだけではなくて、高く掲げてください。多くの人がそれによって希望の力を見出すことでしょう。そしてあなたは、自分の持っている力や魅力がどんなに他者と自分を幸せに導くかを知ることができる。

 

 実は医療者にも灯火を足下に置いている人が多いのです。素敵な才能を持ちながらも自分一人でそれを抱きしめて輝く灯火を足下に置いてしまっている。でも、素晴らしいあなたの灯火をどうか高く掲げましょう。もっと高く。「他者のためにともしびを灯せば、その人の前だけではなくて自分の前もまた照らされる」という誰かの言葉が心に灯る今日だった。医療者として、そのような生き方、そのようなケアの提供を志していきたいものだ。

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