訪問看護師はミタ

訪問看護師はミタ

訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。


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 灯火は高く掲げるほどにたくさんの人を照らす。聖書の言葉に「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)とある。灯火とは時に道しるべになるものであり、絶望からの希望を見出す力であり、また、命そのものを表現する言葉である。

 

 他にも聖書には(聖書マニア・笑・すいません)「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く」。 「ともし火」は聖書の昔の世界ではオリーブ油などの油を、日本の行灯と同じように、ともしび皿というものに入れ、そこに芯を入れて火をともしていた。

 

 日本の昔話にはその油を狐がペロペロ舐めにやってくるなどといった寓話もある。灯火は、日本でも江戸時代以前の昔の唯一の照明道具でもあった。電気も何もない時代に夜を人工的に照らす唯一のものだった。お皿に油を入れて何らかの芯に火を灯し、燭台や行灯と呼ばれるような高い台の上に置いて家の中を明るくした。それは唯一の灯りの手段だった。仄暗い電気の光とは違うほんのりした黄色い灯り。だからこそ、その火は、一番居室を明るくできる高い位置に置かれることが多かった。

 

 聖書の言葉にあるようにその灯りを、「穴蔵の中」や「升の下」に置くなんて考えられもしないことである。もしそのようなことをすれば、当時高価だった油は役に立たず、せっかくの尊い灯りは誰も何も照らすことが無い。
 

 聖書の中でイエスは何が言いたかったのだろうか?‥‥。灯火を掲げることは自分だけではなく、他者も照らす。そしてその高価で高貴な油は皆を照らす希望になる。真っ暗な深夜のような世の中でも、もしあなたが灯火を灯す力を持っているなら、ぜひ自分のためだけではなくて、高く掲げてください。多くの人がそれによって希望の力を見出すことでしょう。そしてあなたは、自分の持っている力や魅力がどんなに他者と自分を幸せに導くかを知ることができる。

 

 実は医療者にも灯火を足下に置いている人が多いのです。素敵な才能を持ちながらも自分一人でそれを抱きしめて輝く灯火を足下に置いてしまっている。でも、素晴らしいあなたの灯火をどうか高く掲げましょう。もっと高く。「他者のためにともしびを灯せば、その人の前だけではなくて自分の前もまた照らされる」という誰かの言葉が心に灯る今日だった。医療者として、そのような生き方、そのようなケアの提供を志していきたいものだ。


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 孤独死がテレビや新聞やネットでよくニュースになる。でも、本当に孤独死って大問題なのだろうか?昔は三世帯家族も多く、高齢者の世話は若い世代が普通に世話をしていた。昨今のの独居率は右肩上がりで、私と同じ世代でも決して少なくない(アラフィフね、一応解説)。

 

 

 諸外国、特に欧米では核家族もスタイルとしては特殊ではないし、独居死は「ふ〜ん」、「そうか〜」って普通に受け止められるレベルだと聞いた。Lonely death とか Unattended death などと呼ばれて普通死の範疇なのである。まあ、インドでは道端で人が亡くなっているのが普通の社会だし、彼らからすれば日本の独居死の騒ぎ方の方が異常に思われているのかもしれない。

 

 

 ただ、独居でなくとも孤独死はある。三世帯家族でも「最近おばーちゃんの顔見てないなあ」とか言って戸建ての3階のおばーちゃんの部屋に覗きに行ったら、三日前に亡くなっていたとか。都会の3世帯家族は、みんな仕事したり子育て世代だったり、何かと忙しく、一緒に住んでいても孤独死のパターンもある。

 

 ピンコロという言葉が流行り、ピンコロ寺があってそこへ詣でる方も少なくない。でも実はピンコロってすごくヤバい。だって昨日まで元気だった高齢者が、ある日ばったりと倒れて亡くなっているとする。検案死のパターンで警察のお出ましだ。ご遺体の解剖が必要になるパターンや周囲の人が取り調べを受ける可能性が大いにある。沢口靖子の出てくるチャララーンの音楽で始まるサスペンスだ。

 

 でもきっとほとんどの人はそんなことを考えず、「ピンコロがいいな〜」ってお参りするのでしょうね。残された人のことも考えて段階は踏んだ方が良いと思います。調子崩す→外出できない→助けを求める→寝たきりで世話される→亡くなる、みたいな感じでいかがでしょうか。この期間を短くするのは重度医療処置をどこまで施すかなので、そこは良く考えて、倫理的にも検討が必要となってくるでしょう。命の灯火はいつも尊いので一言では語れません。

 

 私も多死社会の中でなくなる一人です。皆さんはどう思いましたか?とりあえずお互いに良い終活ができると良いですね。


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 こんなタイトルを見たら「もしかしてミナさん、俺のこと書いた?」とかドキッとする読者もおられるのかもしれない。でも、違うんです。その妻を看取ったあの人ももう寿命を全うされた。何年も前に。

 

 

 その方は80歳代を超えていましたが妻を看取ってから2年くらいたったある朝、ベッドで冷たくなってしまって見つかった。私には妻がいた時の素晴らしい時間を、どんなに素敵な毎日だったかをいつも話してくれていた。

 そして、今がなんとつまらなく生きがいのない毎日で、妻が恋しいといつも話してくれていた。しょんぼりと過ごした2年間を経てご逝去されて天国へ帰られた。

 

 

 ところで、橋田壽賀子さんであるが、安楽死したくて色々調べて諦めた、とか時々メディアに出ている。通常は老後妻に先立たれた夫は2年くらいで後を追うように亡くなることが多く、女性はむしろ人生を謳歌し、解放されたかのように余生を楽しむ、などというデータをどこかで見たことがある。それがもしかして、逆転現象が起こって来ているのかもしれない。

 

 

 どうして、一体どうしてそんな事を思ったかというと、20年前はデイサービスや町内会など、女性利用者や女性役員が主流で男性の姿をそこに見かけることはとてもレアケースだった。しかし、最近は地域活動の場や、ボランティア活動、デイサービスも男性陣がたくさん参加している場面によく遭遇する。しかもその男性陣が活発だったりする。

 

 男性は女性がいなくてはショボくれ爺、な時代は変換期を迎えたのかもしれない。そして女性が働く時代の今、自分の栄華を極めた時期を人生で経験した女性は橋田さんのようになってしまうのであろうか。加齢はいつも誰にでも残酷な一面を運んで来る。若く麗し買った容姿は衰え、能力も体力も低下し、ちやほやされた女性ほどに、胸が苦しく心の痛みが強くなってしまうのかもしれない。

 

 

 自分の人生を振り返ろう。私はハイクラスなスキルもないし、特に美しさも秀でていないし、大金持ちでも資産家でもなく、ちやほやもされなかったから大丈夫かも(笑)・・。

 

 

 最後に、目標はやはりナイチンゲールでしょう。私はいつもナイチンゲールへ戻って考える癖がある。ナイチンゲールみたいに「私は学び続けます、自分が看護の仕事をできなくなったら、自分が看護されることで(寝たきりになって人は死んでいくことをすでに若い時から想定してのセリフ・これも凄い)、そこから学ぶことができるでしょう」と言い切っていました。そして実際最後は寝たきり生活になるのですが、彼女は教え子や政治家に手紙を書き続け、書物もベッド上で書き続けました。自分が看護を受けながらも本当に最後まで看護を学び続けた人だったのでした。

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