風がびゅーびゅー吹き荒れる一日だった。
左右に靡いて止まらないコートの裾を一生懸命押さえながら、ひたすらどことも分からない街中を歩く。
その間中ずっとさっきまでのことを考えていた。
私の中でいろんな結末が予想できた。
思い描くのは由依さんが断りを入れる結末。
今は付き合っている子がいるから一緒には行けない、と。
あの確乎として抜くべからずな性質上、そう導き出してくれるのではないか。
だとしたら音楽はどうなるのだろう。
大好きな音楽を続けるのであれば留学というのも一つの手段だけど、卒業するまではあと一年あるからそれまで待って、とか?
若しくは音楽も同時に捨てる道。
由依さんにとっての音楽がどれほどまでに大きいものか知らない私からすると、この辺は足らぬ想像力ではカバーできなかった。
その中で…
考えもしたくない最悪の結末。
由依さんがその人の言葉を肯定してしまうこと。
消したくても消えないどころか。
考えれば考えるほど、そっちが勢いを持って思い描いた結末を押しつぶしてしまいそうだった。
そんなとき、過ぎゆく景色の中で一つの楽器屋さんが目に止まった。
無意識の中で私は平然と導かれるようにお店の中へ入っていった。
店内には色とりどりの楽器たちが勢揃いで壁を埋めている。
ぼうぜんと眺めてたって何も分からない。
当然だけど、小中学校の音楽で習った程度の知識しかない私にとっては、数々の楽器を見る材料なんて持ち合わせていない。
私の知らない世界。
でも、愛する人の追い求めている世界。
それだけでまじまじと眺める意欲が湧いてくるというのだから不思議で仕方がない。
足を止めることなく遊膳と店内を徘徊しているだけの私を止める場所があった。
そこには「ジャズ入門」とポップが張られていて、ドラムセットやピアノや弦楽器、ジャンルがまばらに見える楽器がまとめて置いてある。
ジャズって不思議だ。
これらの楽器は、素人の自分が見たってとても一緒に演奏される代物だとは思えないけど。
実際にはちゃんと一緒に演奏されて音楽が成り立っているのだから。
値札を見てびっくり
どの楽器もお小遣い片手に持ち帰ることができるような半端な金額じゃない。
こんな楽器が同じ大学生の間で手にされているのだから驚きも一入だ。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
「あ、いえ、ちょっと気になって見てみようかなってだけなんで」
「ジャズですか?いいですねー、今若い人の間でも人気ありますから」
「はぁ…」
「良かったらパンフレットだけでも持ち帰ってみませんか?いろんなメーカーのものがありますから」
にこにこ愛想の良さそうな店員さんから冊子を手渡される。
表紙には目を惹くような金色輝くトランペットが載っている。
私は無意識にページを捲りながら、頭では全く別のことを考えていた。
もし…
もしあの人の代わりに私が楽器を始めるって言ったら、由依さんは追いかけていくのを止めてくれるだろうか。
その人と一緒じゃなくて、私と音楽を始めましょうって。
素人ですけど、これから頑張って由依さんに追いついてみせますって。
誠心誠意頼み込んだら会心してくれるだろうか。
万が一にも音楽に未練があるなら…
ここでもまだ続けられる夢があるのならば…
その可能性にかけてみない手はない。
「あのー」
「はい!何か興味あるものがございました?」
「もっとパンフレット貰って帰ってもいいですか?」
しばらくして由依さんの家に行くと、由依さんはもうすでに帰宅していた。
由依さんは何も言わずに私を迎い入れ、部屋の奥に置いてあったベースを出して手入れをしている最中だった。
その様子を見るのが辛い。
なんで、私と付き合いだしてからずっと手をかけることすらなかった楽器を今になって触ることになったのか。
私の考えは悪い方へと向かうばかりだった。
「ひかるちゃん何それ?」
「何って」
「その手に持ってるの、…ひかるちゃん楽器に興味とかあったっけ?」
由依さんは当然気づいた。
今まで楽器に全く興味を示さなかった私がこんなにたくさんのパンフレットを持って帰ってくるのだから。
もう、全部吐き出してしまいたかった。
「由依さん!話しがあります」
「…どうしたの急に」
「私を捨てないで、…ください」
気づいたら、私は由依さんの懐に飛び込んでいた。
無様に歪んだ顔を見られるのが嫌だった。
「私じゃ、あの人の代わりになんてなれませんけどっ…今からでも楽器始めて由依さんと一緒にできるように頑張りますから……だからっ」
「ひかるちゃん…やっぱり、着いてきてたんだね」
「…うっ…、ゆいさん」
お願いごとをするように由依さんの手を握って頭の上に掲げる。
少しでも熱意が伝わるようにって。
私には今これしかできないから。
「…っグ、…ひっ」
「泣かないでひかるちゃん」
「だって…ゆいさん、あの人のこと…まだっ」
「大丈夫。もう好きじゃないよ」
「…嘘」
「嘘じゃない。私が今好きなのはひかるちゃんだけ」
本当に?
ホントウに?
いつかしたみたいに本当に?を繰り返し由依さんに問い詰める。
「本当だよ…理佐にはちゃんと断りを入れてきたからね。だから安心して」
「…っ」
「だから、ひかるちゃんにはこれは必要ない」
楽器屋さんで貰ってきたパンフレットを丸ごと取り上げられた。
由依さんはそれを丸めてゴミ箱に詰め込む。
その様子を見て、初めて安堵を取り戻した。
でも、
まだ信じられない。
「でも、…由依さんベースの手入れしてるじゃないですかっ…それって、向こうで」
「ああこれ?これはもう必要ないから売っちゃおうかなって」
「売る?」
「うん。さすがに埃かぶってたら売り物にならないからね」
「…本当に?」
「本当に。…心配させちゃってごめんね」
なでなで
由依さんの柔らかい手が私のつむじの辺りを行ったり来たりする。
あの観覧車の中でしてくれたみたいに。
それに続いて今までの二人で過ごした思い出が蘇ってきて、涙腺が緩む。
「…っうわぁぁ」
「辛い思いさせちゃってごめん。もうどこにも行かないから」
「…っグ、…ヒック」
「ひかるちゃんだけが私にとっての希望だから」
すべての言葉が私の心の内を優しく解していく。
よかった…
由依さんとまだ一緒にいられるんだ
私を安心させるためなのか、由依さんは私を宥めながらいろんなことを話してくれた。
理佐が留学するためにいなくなっちゃって、音楽がつまらなくなって。
それとともに大学生活も、バイトも、友達との付き合いも、全部つまらなくなってしまって。
目に見える景色から色が消えてしまった。
そこにひかるちゃんが現れて。
色褪せていた街の景色に光を灯していってくれて、ようやく気づくことができた。
私が好きなのは音楽なんじゃなくて、理佐だけだったんだって。
理佐を追うために音楽を、ジャズを追っていただけだったんだ。
ひかるちゃんのおかげで全部気づくことができた。
今まで狭っ苦しくてつまらないと思っていた街の景色は
あの観覧車の上から眺めてみて、初めて広いんだなって知ることができたよ。
ありがとう。
いつしか見えた由依さんのLINEのトップ画は
観覧車の中で街を背景にした私とのツーショット画像へと変わっていた。
『ニューホープシティ』