小学生の頃の話。


「お父さんは、たけちゃんのほうがかわいいんでしょ」

 どうしても、言わずにはいられなかった。でも、父に直接言うことは出来なかった。だから、母にそっと言ってみた。そして、すぐに後悔した。

 いつも遅く帰ってくる父は、私より弟によく話しかけていた。機嫌が良い時は、弟の名を小唄に挟んで口ずさんだりもしていた。そこに私の名前が上がることはない。それが不満だった。

 「そんなことはないと思うけど」母は否定してみせた。

 「そんなことなくないよ。いつもたけちゃんの話ばかり」と、私も負けずと押し返した。

  幾日か経って、仕事から帰ってきた父がコタツに入ってきた。静かな夕食の後、父は職人仕事で傷ついた大きな手で御座候を2つに割った。

「このおまんじゅうは、どっちがおいしい?」と父は聞いてきた。

「どっちもおんなじにきまってるやん」

「そうじゃろう。」父が、そっとつぶやくように答えた。

どっちもおんなじにきまってる、そう答えた自分が急に恥ずかしくなった。

父と母の間にどのような会話があったかはわからない。けれども、母から話を聞いた父が、小学生にでもわかるような答えを出すのに、どれだけ苦しんだかは容易に想像できた。

 「風呂、先に入るね」その場から離れたかった。

風呂の鏡を覗き込むと、父親そっくりの自分が映っていた。