布亀ストーリー(ヒストリー第3話) 「自動車の時代へ、変わる日本」1950年代~60年代前半 | 布亀株式会社(公式ブログ)

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布亀ストーリー(ヒストリー第3話)

 前回は配置薬の歴史、前々回は今から50年ほど前の1968年(昭和43年)、兵庫県西宮市今津に本社を移転させたところまで、第1話でお話しました。

 第3回目の今回は、自動車が登場して産業そのものが近代化していく時代に「置き薬」はどうなっていったのかをお伝えしようと思います。


●薬売りも自動車やバイクで営業へ(廣貫堂さま(富山市)資料より)
 

 本社を西宮市に移転させる直前、昭和30年代までは、現在のように自動車でなく
主に徒歩(電車などで移動)、あるいは自転車・バイクなどで「置き薬」の営業・訪問を
行っていました。それは布亀のような置き薬の会社だけでなく、日本全体で他の産業
も皆同じことでした。  

●富山の薬売り(廣貫堂さま(富山市)資料より)
 

 大きな商品の詰まった柳行李や風呂敷包みなどを背負って歩くのです。
先人は大変な思いをして仕事をしていたことになります。
また、薬に限れば、その頃の日本にはドラッグストアや薬局が数多くあるわけでもなく、
「置き薬」の国民の健康に対する貢献度は今以上に高かったものと思われます。

●富山駅前の薬売りの立像

 

 1954年(昭和29年)、国による「道路整備5ヵ年計画(第一次)」が発表されました。
それ以降、全国の道路整備は急速に行われていきます。
あらゆる産業で「クルマ」を使った事業が展開されるようになっていきました。
布亀では1960年(昭和35年)に初めて「クルマ」による営業・訪問を開始。
近代的な薬売りビジネスの幕開けはここからといえます。

●昭和38年ごろ

 

 柳行李を背に背負うのではなく、薬をより丁寧に運ぶための工夫として
アタッシュケースも採用され、現在の置き薬の形態になっていきました。

 

 1963年に(昭和38年)日本で最初の高速道路、名神高速道路が尼崎~栗東間
(約70km)で完成。全産業で本格的なモータリゼーション革命が本格化。
いよいよ布亀も、近代的な組織へと変わっていきました。

●富山の薬売り(廣貫堂さま(富山市)資料より)

 

※薬売りの写真と、自動車・バイクの写真は「廣貫堂」(富山市)様
貸与の資料を掲載しています。