布亀はもともと富山の薬売りです。
その歴史は1876(明治9年)、初代の布目亀次郎(ぬのめ・かめじろう)が
売薬業(薬売り)を「布目六神堂」として富山県婦負郡四方町(ねいぐんよかたちょう)で
創業したことに始まります。
★「やげん(すりこぎ)」と呼ばれる原料をすり潰すための道具
今のすりこぎはステンレス製が多くなっていますね(*^_^*)
お気づきの通り、現在の社名「布亀(nunokame)」は、創業者名の布目の「布」と亀次郎の
「亀」を合わせて作られました。
↓↓↓↓写真は大正時代の薬箱
布亀の前身「布目六神堂」の名称が前面に記載されています。
私達は「ぬのがめさん♪」とお声がけいただくことが稀にあるのですが、
正しくは濁らない「ぬのかめ」です。宜しくお願い致します(*^_^*)
ところで、江戸期から明治に移行した当時、創業の地、四方(よかた)は、売薬と漁業を
中心に栄える土地でした。「布目六神堂」も売薬を家業として、富山を中心に能登そして
新潟方面あるいは関西へと営業の足を伸ばして徐々に成長、明治・大正期と過ぎ、
戦前の1935年(昭和10年)には現在の本社のある、兵庫県西宮市に営業所を開設する
までになりました。
戦後、1960年(昭和35年)に、組織を改め「布亀株式会社」として設立し関西に進出。
神戸市生田区中山手通(現在の神戸市中央区)に本社を構え、業績も好調に推移して
いきました。そして、1968年(昭和43年)には新築の自社ビルを構えた兵庫県西宮市今津二葉町に本社を移転させることになります。
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↑↑↑懸場帳(かけばちょう)
写真は、懸場帳(かけばちょう)と呼ばれた「薬の配置記録」「集金情報」「顧客情報」などが
記入された帳面。大正期の布目六神堂(布亀の前身)の実際の懸場帳。
現在はピピピ♪のハンディターミナルです。
売薬のすべてが記入されたこの帳面は、企業の財産そのもの。
懸場帳自体が高額で取引されることもあったそうです。