大阪冬の陣の折家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を敷いた茶臼山の東に堀越神社は鎮座します。
堀越神社は聖徳太子の創建で父・崇峻天皇を祀り、配神として珍しくも蜂子皇子を祀っています。
この堀越神社、一生に一度だけ願いを聞き届けて下さるそうです。

堀越神社の前・東側は緩やかな南へ下るスロープになっており、茶臼山の南側にある川底池から続く堀が明治半ば迄あった名残です。
川底池とこの堀は和気清麻呂が淀川と大和川が流れ込んでいた河内湖の放水路を造る為に上町台地を穿っていたのですが、788年清麻呂の死によって中止された上町台地開削事業の放水路の名残りとされています。
清麻呂は道鏡事件で知られていますが、新国土軸とも云える神崎川放水路の開削や本件上町台地開削など土木技術に長じた人物でした。

 

 

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