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今回も『三人寄れば文殊超え』と称して、友人2人と僕と3人で同じテーマについて書いています。
第2回目のテーマは「睡眠」です。
「一般的な人間の人生の3分の1が睡眠時間」
この衝撃的な事実を知ったとき、「人生の3分の1を自分のベッドの上で過ごすのか!」と焦ったものだった。
そんな事態は何としても避けなければならないと思った僕は「じゃあいろんな場所で寝ることにしよう!」と思い立ち、それを実行に移した。
高校1年の夏のことである。
まず、自宅のトイレで寝た。
事前に念入りに床を磨き、エビのように身体で弧を描くような体勢で寝た。
次に、自宅の2階のトイレで寝た。
事前に念入りに床を磨き、ドアに「はいるべからず」と貼り紙をして、エビのように身体で弧を描くような体勢で寝た。
貼り紙をしたのは、前回トイレで寝たときに、母に安らかな睡眠を妨害されたからだった。
トイレのドアを開けたら息子が倒れているのを発見した母も、若い頃に思い描いていた理想の家庭生活を妨害された様子だった。
きっと、こんなじゃなかった筈だ。
お風呂場で寝た。
裏返した洗面器は枕として丁度いい高さだった。
そして、階段で寝た。
寝れなかった。
落ちそうで怖かった。
キッチンで寝た。
寝れなかった。
ゴキブリが出そうで怖かった。
屋根の上で寝た。
意外と寝れた。
でも、寝起きに屋根からベランダに降りるのが怖かった。
降りたは良いが、僕の奇妙な習慣にしびれを切らした母が鍵を閉めてしまっていた。
怖かった、母が。
そんな男のロマンを解さない母を尻目に、家の中では物足りなくなっていた僕は、思い切って外にでることにした。
近所の小学校のグラウンドの端にある体育倉庫の上で寝た。
名状しがたい興奮が僕を襲った。
屋外で眠ることがこんなにも気持ちが良いことだと初めて知った瞬間だった。
それ以来、旅行の際には、宿代を節約したいというケチ臭い理由でなくて、積極的に野宿するようにしてきた。
大学1年のときの青森→東京間のチャリ旅行のとき、公園のあずまやで寝た。
目を覚ましたら、隣に50才くらいのみすぼらしいオッサンが座っていた。
「ボウズ、ようやく目を覚ましたか」
と、まるで僕の手術を執刀した執刀医かのごとく話しかけてきた。
オッサンは一方的に話を続けた。
何でも、30年連れ添った奥さんと全財産譲渡した上で別れて、言い寄って来た16才の女の子と結婚したらしい。
僕は目を覚ましたのに、オッサンはまだ夢から覚めていないようだった。
大学2年のときの北海道1周チャリ旅行のとき、バスの停留所で寝た。
北海道は寒いから、停留所が小さな小屋になっているのだ。
6時過ぎに始発のバスが来るので、6時前まで寝ることにした。
あまり遅くまで寝て乗客が来てしまうと、不審者扱いされてしまうと思ったのだ。
目が覚めたら8時だった。
起き上がると両サイドのイスには、ばぁちゃん達がズラッと座っていた。
「やっちまった!」と思っている僕に、ばぁちゃん達は「にいちゃん、よく眠れたかね?」と声をかけて笑って、元の会話に戻っていった。
北海道のデカさを実感した瞬間だった。
大学4年のときの山ごもり修行のとき、木の上で寝た。
もともとは地面で寝るつもりでいたのだが、日が沈み周囲が闇に包まれてくると獣の存在が怖くなってきて、木に登ることにしたのだ。
辺りは既に真っ暗闇だったので、持参した懐中電灯を頼り木に登ろうとした。
なかなか登れなかった。
苦戦しながら時間が経つにつれ、懐中電灯の灯りが獣をおびき寄せるシグナルになっているようで恐怖がつのった。
暗闇の中では、光は諸刃の剣だと思った。
メスとセックスするために光り輝くホタルの勇敢さを知った。
これ以外にも、2ヶ月前の旅行では、鳥取砂丘の頂上で寝て、口の中がジャリジャリになったり、宮島で寝て、起きた瞬間タヌキが脱いでいた僕のスニーカーをくわえて去っていくところだったり、いろいろと普通でない場所で睡眠をとることが多い。
しかし、よく考えてみると、25才のニート君が毎晩実家のベッドで悠々と睡眠をとることが最も普通じゃないのかもしれない。
高1のオレよ、もっとオレの尻を叩いてはくれまいか?