そんな中小企業経営者がいっぱいいれば嬉しいけど | 砂上の賃貸

そんな中小企業経営者がいっぱいいれば嬉しいけど

そこまで社員のことを思う経営者っていうのは極めて例外的じゃないかなあ。


って何の話かと言うと、切込隊長BLOG(ブログ)の働く人のキャリアの作り方ってエントリの話なんですが。

R30さんの転職に関するこのエントリに対して隊長は夜盗側、じゃなかった雇う側の気持ちとして

中小企業や零細企業なんてものは、そもそもまともな人が採用に来ない。必ず、何か事情があって来る人が大半。スキルでステップアップして、高い給料をもらえるような仕事をドーンと手がけられるような人は、元から来っこないわけです。夢だSOだ上場だって言って騙して連れてくることもできなくはないけれども、そういうものに惹かれてくる人もやっぱり「訳あり」。

 だけども、そんな中途半端だったり問題を抱えている人たちを雇った以上は、何とか向いている仕事を見つけてはめ込んだり、ちと無理っぽいかなと思っても思い切って上から下まで全部やらせて成果を見たり、っていうような工夫もあります。配置転換なんて言葉もない。転換先の部署なんてないですから。

 でもやっぱり仕事が大きくなってくると、自動的に社員も組織も強くなっていくものなんでしょうな。入ったときはこいつ大丈夫かと思った奴でも、数年で現場任せっぱなしで取引先からも感謝されるなんてこともある。雇う側として、まあ報われたなと思う瞬間です。



てことを書いていて、三連休があることに気づいたときは一連休になることを知ったしがない一労働者として、正直、ああいいなあ、こういう人のところで納得できる仕事ができれば言うことないよなあとは思うものの、でもそれって人材募集のチャームポイントに「絶対潰れません」と書ける隊長だから言えるのであって、現実にそんな余裕のある中小企業経営者なんていないんじゃない?とも思う。特に両手両足の指で数えるのに足りるような人数しかいないところだと。これこそ例外中の例外かもしれないけれど、バイオティックレイヤードさんの話なんてすさまじいじゃないですか。

せっかくだから、しょせん僕個人の狭い経験に過ぎないとはいえ、何人かの中小企業経営者の話を書いてみようと思う。



まず一人目。とある大手老舗ゲームメーカーの下請けみたいなところ。社長はまだ若く40代、二代目のボンボンだったらしい。こっち方面詳しい人は多いだろうし、ヒントを出すとバレそうだからこれ以上詳しくは書かない。

ここはゲーム関係の仕事でそれなりの人数のバイトを随時集めていたのだが、多分に漏れず僕もその一人だった。当然ながらゲーム好きの若い奴らが集まり、その多くはゲーム絡みの仕事だからということで働いているだけで、待遇や条件について特に考えもしていなかった。もしくはそれを考えるだけの常識を備えていなかった。

そんなこともあって、残業代はスズメの涙、深夜手当はなし。そもそも雇用契約書を書いた記憶がない。僕はと言えば初めてのバイトということもあって雇用の常識には欠けていたし、それ以前として労働の楽しさを経験するだけで満足していた。従業員全員分のクレジットカードを社長が勝手に契約して、そこそこ年上の一緒に入った人が激怒していたときも、「まあクレジットカード持ってなかったしちょうどいいや」くらいにしか思わなかったし、主要取引先のとある新規事業に関わる兵隊として別現場に送り込まれたとき、その現場に給与明細を届けに来てくれた専務に「間違っても向こうの人たちに見せないようにね」と言われても、何も疑問に思わず素直に言うことを聞いていた。今思うと、向こうに見せられないくらいの額を中抜きしていたんだろうと想像がつくが。

ある日この会社で新しいプロジェクトを行うことになった。社長が従業員全員を集めて参加希望者を募った。「最近うちの会社も余裕ができたし、ちょっとこんなことをやってみたい」と社長は説明した。魅力的な内容だった。まだ若くて無知で情熱的だった僕はただひたむきにその仕事をやりたいと思い、率先して手を挙げ、結果リーダーとなった。まあリーダーと言っても素人なわけで、率いる人間もいないわけだが。

その会社には何のノウハウもないプロジェクトなので、社長のツテで別の会社に丁稚奉公に行くことになった。この丁稚奉公では結果としてかなり濃密な人生勉強をさせてもらうことになったが関係ないのでその話は省く。最終的に社長とその知人の折り合いが極めて悪くなり、一ヶ月ほどでそこから戻ることとなった。僕を指導してくれた知人氏は社長に恩があるらしく、最後まで社長のことを悪くは言わなかったが、社長はその人のことをボロカスに言い続けていた。

「この先どうするのだろう?」と不安に思っていたら、社長は「とりあえずこれからは俺の言うとおりにやれ」と言い出すので、しばらくは指示の通りやっていた。だが、社長もやはりその分野については完全な素人だ。また、指示の内容が、僕が丁稚奉公先で教わってきたと説明したことの模倣の上に、きわめて曖昧でいいかげんだった。この期に及んでようやく悟った。

「あ、そうか。これ、会社の本業じゃないから、上手く行ったら儲けもの、上手く行かなきゃ俺使い捨てか」

そうとわかれば話は早い。すぐに社長室へ行き、辞意を申し入れた。そうしたら社長が大激怒。

「ふざけんな!やめるんだったら金返せ!」

すごい剣幕で怒鳴る社長に、まだ若くて無知で情熱的でその上頭も悪い僕は怒鳴り返した。

「ええ、返します!給料振り込まれたら返しにきます!」

そのままそこを辞め、給料日にはしっかり全額下ろして会社に叩きつけに行った。社長はいなかった。困惑した表情で「僕は何も分からないけどとりあえずこのお金は預かるよ」と言う専務にお金を渡してすぐに帰った。そのお金がどうなったかは知らない。



次の社長は50代。団塊の世代。小さいながらも教材編集のプロダクションを経営している一国一城の主だ。主な取引先はバブルで痛い目にあった斜陽な教材出版社。かつては誰もが歌を口ずさんでいた、そんな会社。

元々個人経営に近い規模だったこの会社には、社長と僕ともう一人の社員しかいなかった。余談だが、このもう一人の人はとても面白い人だった。一回り年上だが、大学を8年かけて卒業してバンドをやりながらヒモ生活、そして無職のまま結婚。奥さんも当初無職だったそうで、「あと少しで生活保護だったよ」と笑っていた。人間、どうにかなるということを身をもって教えてくれた人だった。

仕事自体はわりと淡々と問題なくこなしていた。たまに他の編プロ経由で某都内の果ての成金ビル出版社の仕事も入ったりして、斜陽産業ながら生きていくことを目標とすればなんとか生き延びそうだった。

それでも、社長は月末が近づくたびに人が変わった。お金の計算をしてはため息をつき、銀行からの電話におびえて時には居留守を使い、わけもなく八つ当たりをすることしばしばだった。一日一回の、三時のタバコを吸っていたら「何度もタバコばかり吸っているな!」と怒られたりした。

不愉快な思いもしたとは言え、家族からは馬鹿にされて家庭で行き場をなくし、大好きだった酒は体を壊して飲めなくなり、応援している巨人は負け、その上唯一の誇りとも言える我が城が崩れかかっていたこの人のことを思い出すと、哀しさのほうが先立つ。いつも寂しそうに「もう俺なんていつ死んでもいいんだよ」と呟いている人だった。

でもここを辞めるときは労働者の権利としてきっちり有休を消化させてもらった。大体給料安かったしそのくらいはねえ。



そして三人目。こちらもやはり団塊の世代。都内のわりといい場所に小さなオフィスを抱える弱小PR代理店。でも弱小とは言え大きなクライアントを複数抱えていたし、経営的には決して悪くはなかったと思う。でも弱小。それは社長の性格ゆえ。

社員は10人弱だが、社長とその奥さんと一人の六年ほど勤務している人を除いては、みな入って間もなかった。聞いた話では、平均勤続月数三ヶ月弱、半年続けば長い部類だったらしい。

仕事は激務だったが、それは別に問題ではなかった。同期で入った奴は早々に潰れて田舎へ帰ったが。

給料は例によって安かったが、それも問題ではなかった。契約書に「残業手当はあらかじめ10時間分まで支給する」と書いておいて、実際は何時間残業しても10時間分しか支給しないというインチキくさい労働条件だったが。

何が問題だったか。それは、社長が人に仕事を全く任せられないことと、プライドが高すぎてせっかくクライアントから振ってきた仕事を「うちはそんなつまらない仕事はやらない」と切ってしまうことだった。

企画書を作成するにあたって社長のチェックが入る、これだけならまあ当たり前だが、この社長の場合は、一日に三度も四度もチェックをしなければ気が済まない。進捗報告どころの騒ぎじゃない。しかも、たとえ最初の時点でブレインストーミングをしようと、全体の骨子を何人かでまとめようと、中途チェックの段階での社長の思いつきによって方向が変えられてしまう。結局は社長の入れた赤に沿って一字一句入力するだけの作業になってしまうのだ。

社長は常に「当たり前のPR業務をするのはただの作業屋だ。パブリシティという仕事を通じて社会を動かさなければならない」と言っていたが、過去の成功にこだわるあまりワンパターン社長のアイディアで社会が動くわけもなかったし、従業員はみな社長のための作業屋だった。

せっかく半年以上かけて目標を達成してコネクションを築いたクライアントからの次の仕事の依頼も「そんな作業屋みたいなつまらない仕事は受けない」と言って断ってしまった。個人的に愛着を持ってPRできる商品を販売していたクライアントだっただけに、心からがっかりした。つなぎの仕事はつなぎで受けて、次の大きい展開を提案すればいいのに。

結局他の社員同様に僕も失意のうちに辞めてしまったのだが、メールでしばらく先輩や同僚と交流を続けていたら、一年ほど後だろうか、唯一長年勤務し、あきらめることなく社長にぶつかり続けていた先輩もやめてしまった。そのときの連絡メールのタイトルは確かこんなだったと記憶している。

「○○先輩退社祝賀会企画のお知らせ」

さすがにその題名はと哀しくなった。



なんか長々と書いてしまったけれど、こんな経営者たちこそあくまで例外であって、実際は隊長のような素晴らしい経営者が少なからずいるのかもしれない。そう言えば、昔ひんぱんにメールをやり取りしていたネットでの女友達が「少人数だけど、本当にお客さんのことを考えて誇りを持っている不動産関係の会社に就職することに決めた」と喜びと希望に満ちたメールを送ってきたことがあった。そこで取り扱っている物件が大手不動産会社からこぼれ落ちてきたもの中心だと聞いた時点でどうかと思ったが。今どうしているかは知らない。デートした際に機嫌を損ねてしまい、お怒りのメールをもらってそれっきりだ。お互い恋人いるのにロマンチックなデート期待されても困るよ、俺はそういうムードになるの嫌だったんだよ、と返事をしようかと思ったがしなかった。よく考えたら彼女出来たこと黙っていたような気もするし。

話が最後に来てそれまくってしまったが、このエントリを書いている途中でふと気づいたことがある。それは、

「訳あり」な人間が扉をくぐれる会社もまた、往々にして「訳あり」な会社だ

という当たり前の事実なのだった。
でも意外と悪くないですよ、「訳あり」人生も。いやほんと。