『沼津北口』は沼津に居ない、つまり、もう存在していません。
もちろん、今まで記事を上げて来た「僕」が死んだりしたワケではありません。
先般、会社の命により、神奈川に異動になったのです。
「僕」が生粋の「沼津生まれ」であったならば「沼津から通う」という選択肢もあったのかもしれないけれど、
元々「神奈川生まれ」であるために「拠点となる場所に帰る」異動、転居を伴う異動です。
すなわち『沼津』を去る事になりました。
もちろん「異動希望」なんて出していません。だから、それは晴天の霹靂・・・・なんて事はなく、
確証はなくとも、なんとなくはその前ぶれを感じ取っていたような気がします。
特に最後の頃、「僕」は上手くやれていませんでした。
もし「ライフ・ワーク・バランス」で例えるとしたならば「両方厳しい」といった感じ。
7年半も暮らしていたの、仕事にも、街にも、そして人にも、全てにおいて厳しかったです。
仮に「僕」の想いは強くとも、全てにおいて片想いだったのだと思います。
いくつかの人間不信に陥るような出来事がありました。
それは「ライフ」「ワーク」と区切れるものではなく、全てがない交ぜな状態でした。
そして「何故?」と自問自答を繰り返し、内省するうちに、それは「自分不信」へ移行しました。
ある程度は取り繕っていましたが、他者と会う事が苦痛で、最後の方は鏡を見るのも辛くなっていました。
相談したい人もいたけれど、誰しも、あんまり助けてはくれませんでした。
もっとも「僕」が色々な「モノ」に不適合なせいならば自分のせい。仕方がない事なのだけれど、
この頃は、心の中で「去りたい」「やめたい」ばかりを呟いていました・・・。
本当は、永住できるような振る舞いができたら、良かったのだけれど。
転勤のスケジュールは以下の通りでした。
公式=2013年9月30日(月)※引継期間は10月4日(金)まで。
正式=2013年10月27日(日)
引継ぎ期間にバタバタと引越しの段取りをし、神奈川の新居を決めました。
10月6日(日)に暫定的な引越しを行いましたが、大家さんの「10月末までは大丈夫」という言葉に甘え、
その後の休日は「掃除」「片付け」と称して、毎週「沼津の部屋」に通っていました。
世話になった恩を返すように、別れを惜しむように、一生懸命に掃除をしました。
そして、何度も何度も拭いた床にはチリひとつ残らず、もう、やることが無くなってしまった頃、
丁度、引渡しの期限がやって来ました。
「なるべくギリギリに」と、部屋の明け渡しは10月27日(日)に決めました。
日曜日であれば大家さんもお休みの為、誰にも会わずに立ち去れると思ったからです。
まだまだ「此処」に居たかったけれど、もう帰らなくてはなりません。
ドアを閉める前、7年半お世話になった部屋を眺め深々とお辞儀をしました。
そして、いつの頃からか「最後に必ず訪れよう」と思っていた場所、
「黄瀬川」沿いの某所に向かいました。
もう一度深々と、お世話になった『沼津市』に向かってお辞儀をしました。
その時の「僕」は年甲斐もなく泣きじゃくっていました。
すれ違った高校生は不思議そうな顔をしていました。でも、涙はずっと止められませんでした。
『沼津でいこう。』は今日で最終回です。
自身、6年間連れ添った『沼津北口』さんとお別れするのはとても辛く「このまま続ける」選択肢もありました。
でも、このブログの成り立ちを考えたら、そして『沼津』のことが大好きだからこそ、
すでに『沼津』に存在していない「僕」がなにくわぬ顔で続けるわけには、やっぱりいきませんでした。
だから、とっくに閉めてなくちゃいけなかったのだけれど・・・。
せっかく2008年の元旦から始めたブログだから、丁度六周年になるこの日で、最終回にしようと思ったのです。
「僕」の選択が正しいのか、今は分かりません。
でも「僕」以上に『沼津』を愛する”他所者”も、きっと沢山いるはずです。
僕は、まだ見ぬ”他所者”や、既に『沼津』を愛している人、そして他でもない、ここに来てくださっていた皆さんの、
楽しいブログをコソっと覗かせてもらい、日々、懐かしい『沼津』を思い返します。
訪れてくださって、ありがとうございました。
コメントをくださって、ありがとうございました。
やさしく接してくださって、ありがとうございました。
皆さんにはいくら感謝しても足りません。本当にありがとうございました。
本来ならお一人お一人にご挨拶に伺うべきですが、すでに泣きじゃくっている故ご容赦ください。