今週終わった高校野球。だからというわけじゃないが強豪高校の補欠が主人公の作品を見てきた。タイトルは人間の煩悩の数であり、野球のボールの縫い目の数。劇中では「偶然だろ」で片付けられていたが、そうじゃない気すらした。一番自由で何でもできる高校時代を、保証なんて何もない野球にぶつける事ができるんだろう?やりたいさかりの煩悩だらけの心をどうしてあの硬いボールに閉じ込めることができるんだろう?答えは簡単に出ないだろうが、彼らを見ていて羨ましくて少し心が震えた。
ネットで映画評をちょっと見たら「神聖な高校野球を汚すな」的な熱闘甲子園信者みたいな人の批判があったけど、わかってないなあ。この映画で描かれたように、汚くて人間らしい部分があるからこそ、その先にある栄冠がまぶしく見えるんだ。どんなきれいなアイドルだってウンコもセックスもするんやから。