セクキャバみたいな映画やわ…。

原作は高村薫の上下巻ある骨太小説だ。グリコ・森永事件にヒントを得た設定、企業や組織の矛盾、そして登場人物たちの悲しい人生。ヨン様に夢中の嫁さんには相手にされない亭主族を狙った作品としては、芸もなく吉永小百合ばかり投入してくるヤツらより随分いいと思う。街はクリスマス前で浮かれてるっていうのに、どよ~んと暗い空気がずっと続くのも我慢しよう。

でも、どこにちゃんと出てきた?主人公がどんなヤツか、仲間がどんなやつか?どういうキッカケで集まり、どういういきさつで事件を起こしたのか?なぜ彼らがレディ・ジョーカーと名乗ったのか?そしてどうして日の出ビールは要求を飲まざるをえなかったのか?で、なんであんな結末になったのか?「あんたらには、わかりやしないよ」渡さんに改めて言われんでも、映画が初見の俺にはまるでわからんかった。

内輪ではなく一般のお客さん相手にモノを作る場合、「作品を楽しんでもらうために最低限知って欲しい知識=常識レベル」をどこにおくかはすごく重要なことだと思う。あまり低くしても説明に手間がかかりすぎるし、高くすると専門家とマニアにしかわからん難解な作品になってしまうからだ。で、気をつけなきゃいかんのは作品作りに熱心なほど、現場で「これって、わかるよなぁ」「ええ、当たり前っすよ。」そんな会話が交わされ、無意識のうちにその集団全体の「常識レベル」があがってしまうケースが多いことだ。

おそらく監督はじめ、関係者の皆さんは随分原作を熟読したのだろう。そしてレディー・ジョーカーの世界にドップリつかって作品を作られたに違いないと思う。じゃなきゃ、あんな大胆なカットはできまい。ひとつひとつのセリフにスーパーを入れて、あげくの果てにフリガナまでふってる「脳ミソ溶けてる人向け」バラエティもイヤだが、分厚い副読本を読まんとわからん映画も勘弁して欲しい。

普通のミステリーって、観客が犯人の動機や犯行のカラクリを見破ろうと考え続けて、最後に「そうだったのか」種明かしがあるからスッキリするけど、この作品は頭の中に「なぜ?の嵐(写真)」が吹き荒れるだけでなんの解決もなし。生殺しのまま「お客さん、お時間です」とエンドロールが流れ始める。まさにセクキャバ!延長もできないし…
エロシーンも一切ないこの映画がPG-12指定って、もしかしてそんな理由?

※以上の理由からこれから行く人は絶対予習してから、イッてね。

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