「やればええってことはわかってるんやけど…」誰もがこんな言い訳、必ずしたことがあるだろう。
今は腐りかけた国、アメリカであった知能障害の少年とフットボールコーチの間の「ええ話」を通じてこの作品が訴えてくるのは「なら、やらんかい!」そのひとことだ。
お年寄りに電車で席を譲る、迷惑をかけている他人の子供に注意する、朝1時間早く起きてランニングする、気になるコンビニのあの娘に告白する、カラダによくないので大麻は1日1回だけにする…後半はイミが多少ずれてきたけど「やればいいこと」はたくさんある。でもいろんな理由をつけてやらない、続けられないケースが大半だろう。
普通の人々がやらないことだから当然、奇妙な目で見られたり、場合によっちゃ邪魔されることもあるかもしれない。でも「いいこと」なんだから、自信を持ってやればそこが普通の人々から一歩リードする足がかりになり、継続が力になる。
世の中で名をなしてる人は、ほんの一部を除いては決して天才ではなく、そういう小さいことを「やってこれた」人なんじゃないだろうか?
唯一、不満な点。せっかく「ラジオ」という人間のあったかみを感じることが出来る機械をタイトルにまで使っておきながら、どうしてラジオ(人の方)がラジオに惹かれたか?ラジオが彼にどんな影響を与えていたか?などについて一切触れていなかったこと。

このブログにあわないちょっと熱血なことを書いてしまったが、この映画にそんな身が引き締まる思いにさせられた。是非、黒潮に乗ってくる彼らにも一見を勧めたい。

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