今日はちょっと時間が空いたので流鉄を見に行ってきました。
(クモハ5001・鰭ヶ崎〜平和台・2017年6月18日)
流鉄の起源は1913(大正2)年に地元有志の出資で設立し、1916(大正5)年に開業した流山軽便鉄道です。設立の目的は流山の醤油や味醂を輸送するためでした。
開業後流山鉄道、流山電気鉄道、流山電鉄、総武流山電鉄と改名し、2008(平成20)年に流鉄に社名を変更しました。同時に路線名も総武流山線から流山線に変更されました。
なお、貨物輸送はかなり前に廃止されています。
まずは流山駅行ってみました。ここには流鉄の車庫があるので、その日の運用状況を確認することができます。
今日は5000形第3編成「あかぎ」が2番線に、第5編成「なの花」が電留線に留置されていました。
(クモハ5105・流山・2017年6月18日)
検車場には第4編成「若葉」がいるようです。
(流山・2017年6月18日)
ということは本日運行しているのは第1編成「流馬」と第2編成「流星」ということになります。
すると「流星」が入線してきました。
(クモハ5002・流山・2017年6月18日)
ご覧の通り、流鉄5000形は西武新101系の譲渡を受けたものです。新101系には2両編成が存在したので、地方私鉄でも重宝された様です。
余談ですが、他社では2両編成の制御電動車と4両編成の制御車、中間電動車と組み合わせた3両編成で譲渡した例もあります。
ということで、鰭ヶ崎〜平和台間に移動して折り返しの「流星」を撮影しました。
(クモハ5102・鰭ヶ崎〜平和台・2017年6月18日)
流鉄で一番撮影しやすいのはこの区間。道路から撮影できる上に複線分の用地と架線柱があるので、引きも十分あります。
流鉄は鰭ヶ崎の隣にある小金城趾駅で交換するので、すぐに「流馬」が戻ってきます。
(クモハ5001・鰭ヶ崎〜平和台・2017年6月18日)
効率よく撮影することができるのも、この区間のいいところ。
ところでこの「流馬」は7月30日のさようなら運転で引退します。もっとも廃車となるわけではなく、全検入場するタイミングで塗装を変更し、愛称を変えるのだそうです。
ともあれ、このカラー、「流馬」で走るのはあと1ヶ月半。7月1日からはヘッドマークを装着するらしいので、この姿を撮影するなら今のうちみたいですよ。