阪急京都本線上牧〜大山崎間の東海道新幹線並走区間に行ってみました。
(9401・水無瀬・2016年12月9日)
いつも東海道線からこの並走区間を見ていたけど、阪急の駅に行ったのはこれが初めてです。
さて、この区間は超有名な逸話があります。
東海道新幹線の建設がはじまった頃、当然ながら阪急京都線は地平区間でした。で、すぐ隣に高架線が並ぶことになったわけですが、新幹線の高架線の重さでの地盤沈下が懸念されたそうです。また踏切の見通しが悪くなることが懸念されたという話も聞いたことがあります。
そこで、阪急京都本線も高架化することにしたわけです。
ところで高架化工事をする場合、隣に仮線を敷設して現行線を高架化する方法や、隣に新しい高架線を建設して移設する方法など、いろいろな方法があります。しかし仮線や移設の場合、そのための土地を取得する必要があるなど課題も残ります。直上に高架線を建設する方法もありますが、新旧切り換え区間をどうするかなどの課題もあったりします。
ここで阪急は考えました「東海道新幹線の路盤を仮線として使わせてもらおう」と。
また阪急京都本線と東海道新幹線を共同盛り土とすればコストを下げることができるというメリットもありました。
そこで共同盛り土の費用と、東海道新幹線の盛り土の費用の差額を阪急が負担するという条件で共同盛り土と仮線の借用が実現しました。
そして東海道新幹線の路盤と軌道、架線設備が完成した後、上牧、水無瀬、大山崎の仮ホームを設置して、1963(昭和38)年4月24日に下り線を仮線に移設しました。つまり東海道新幹線開業の1年半前に東海道新幹線の線路上を阪急電車が走ったということになります。
(水無瀬・2016年12月9日)
当時は今N700系が走っている線路を阪急電車が走っていたわけです。
その後上り線も仮線に移設して、阪急京都本線の高架化工事が始まりました。
阪急京都本線の高架化線は1963(昭和38)年12月29日から使用を開始して、現在に至ります。
阪急京都本線といえば、前身の京阪神急行P-6形が国鉄の超特急「燕」を抜き去った伝説があることで有名ですが、現在はこのように東海道新幹線に抜き去られる毎日です。
(水無瀬・2016年12月9日)
それは仕方のないことですが、阪急も東海道新幹線も電車の高速化に貢献していることを考えるとある意味興味深く思えます。