先日お召し列車を撮影したから……というわけではありませんが、鉄道博物館に保存されている御料車を見てきました。
(10号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
御料車はお召し列車で天応陛下がご乗車になる車両です。
その特殊性からか、御料車は使用されなくなってからも大井工場(現・東京総合車両センター)の御料車庫で厳重に保管されることが多く、まだ車籍を有している車両もあります。
これらは見ることがほとんど不可能なわけですが、幸い8両の御料車を見ることができ、そのうち鉄道博物館には6両の御料車が保存されています。維持管理のためガラスで仕切られているので、撮影しにくいのが残念ですが、これだけの数の御料車が保存されているのは鉄道博物館だけです。
なお残りの2両は愛知県の博物館明治村で保存されている5号御料車と6号御料車です。
1号御料車(初代)
(1号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
1876(明治9)年に京阪間の鉄道開業式にそなえて明治天皇ために製造された、日本最初の御料車です。
製造当時はAJという形式でしたが、1911(明治44)年に1号御料車となりました。
1898(明治31)年に3号御料車(初代・現13号御料車・東京総合車両センターで保存)に役目を譲り、1913(大正2)年に廃車され、大井工場で保管されました。
1936(昭和11)年に鉄道博物館(後の交通博物館)で保存され、当地に移設されました。
2号御料車(初代)
(2号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
1901(明治34)年に九州鉄道が導入した御料車です。1907(明治40)年に九州鉄道が国有化され、1911(明治44)年に2号御料車となりましたが、1913(大正2)年に廃車されました。
1923(大正12)年から大井工場で保管されていましたが、1号御料車と運命をともにして現在に至ります。
7号御料車
(7号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
1914(大正3)年に大正天皇、貞明皇后の御料車として製造されました。
1935(昭和10)年に廃車され、大井工場で保管後1952(昭和27)年に交通博物館で保存されました。しかし1963(昭和38)年に大井工場に戻った後、1967(昭和42)年からよみうりランドで保存されました。
実はその時によみうりランドで7号御料車を見たことがあるそうです。というのも当時は幼稚園児だったので覚えていないもので。
7号御料車は再び大井工場に戻った後、鉄道博物館で保存されました。
なお8号御料車の女官室も鉄道博物館で展示されています。
9号御料車
(9号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
1914(大正3)年に製造された御料車唯一の食堂車で、6号御料車、7号御料車、8号御料車と連結して使用されました。
1936(昭和11)年に廃車後大井工場で保管。1949(昭和24)年から交通博物館で保存されましたが、1952(昭和27)年に7号御料車と入れ替わりに浅川分車庫に移転。
そして大井工場保管を経て鉄道博物館に移動しました。
10号御料車
(10号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
御料車唯一の展望車で、1922(大正11)年にイギリス皇太子エドワード・アルバート公の御乗用のために製造されました。
以後国賓や、皇太子の御乗用に使用されました。
1945(昭和20)〜1951(昭和26)年の間連合軍に接収。1959(昭和34)年に廃車され、以後大井工場で保管されていました。
12号御料車
(12号御料車・鉄道博物館・2016年9月14日)
1924(大正13)年に摂政宮の御乗用として製造されました。摂政宮は後の昭和天皇です。
1932(昭和7)年に1号御料車(2代)が登場した後は予備車となりましたが、1959(昭和34)年に廃車。以後大井工場でのも保管を経て今に至ります。
なお1号御料車(3代)と供奉車からなる1号編成、その牽引機だったEF58 61、貴賓電車のクロ157形は車籍を有し、東京総合車両センターの御料車庫に保管されています。
それどころか、1号御料車(2代・後の3代目3号御料車)、2号御料車(2代)、14号御料車も車籍を有しています。
さらに車籍はないものの3号御料車(2代)も御料車庫で保管されています。
御料車に限らず皇室用の車両はそう簡単に解体することはできないのか、永らく国鉄大船工場の構内に供奉車が留置されていました。
そのようなわけで、実は数多く現存している御料車。御料車庫で保管されている御料車達も見ることができる日がくるといいなとは思うのですが、それは難しいのでしょうか。