
(三厩・2016年5月8日)
実は最初に青函トンネルの設計をはじめたときは、まだ東海道新幹線が開業した頃で、青函トンネルは在来線のトンネルとして設計がスタートしたのだそうです。
在来線の場合、連続勾配を20‰まで許容していたので、現在の青函トンネルよりも急勾配でその分距離も短くなっていました。

総延長36,400mで本州側の入り口が津軽線三厩付近、北海道側の入り口が旧松前線福島付近だったようです。
つまり、この線路の先で大きく右に曲がって青函トンネルに突入する計画だったようです。

(三厩・2016年5月8日)
ではどうしてここに入り口ができなかったのかというと、全国新幹線整備法の成立が濃厚となったことから、新幹線のトンネルとして使えるよう設計変更の指示が出たからです。
当 時は東海道新幹線と0系の実績から新幹線の設計基準が決められていて、その結果、勾配は12‰とする事となりました。そして勾配が緩くなった分トンネルの 総延長は53,850mに伸び、入り口が在来線から離れたため、在来線との接続点が津軽線中小国信号場と江差線木古内付近になりました。
ちょうどこの真下に青函トンネルがあるので、入り口はこの辺になるはずだったのかも知れません。

(2016年5月8日)
ここは未成線すらない幻の路線跡です。