
(クロ250-1・伊豆急下田・2014年1月27日)
ケース1
国鉄から私鉄の観光地への片乗り入れ
私鉄沿線にある観光地へ向けて、大都市から国鉄の直通列車が運転するケースです。その多くは国鉄車両の片乗り入れが多かったのですが、相互乗り入れの例もあります。また定期列車のほかに臨時列車の例もありました。
国鉄→長野電鉄湯田中駅
長野電鉄の温泉地である湯田中へ向けて上野から急行「志賀」が直通運転していました。

(「志賀」クモハ169-22・鶯谷・1982年8月)
「志賀」は信越本線屋代から長野電鉄河東線(後の屋代線と長野線)に入線し、信州中野駅から山の内線(現・長野線)湯田中まで直通運転していました。
キハ57系時代は「志賀」のほかに「丸池」も運転されていましたが、165系電車化の際に「志賀」に統一。後に169系に置き換えられました。
「志賀」は1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で廃止し、以後長野電鉄への乗り入れはなくなりました。
国鉄→秩父鉄道三峰口駅
秩父鉄道も秩父や三峯山などの観光地を持つ私鉄で、国鉄と接続する熊谷駅から不定期ながら直通運転が実施されていました。

(クハ115-1137・大野原~秩父)
また八高線からの直通列車が寄居~上長瀞間で運転されたこともありました。
国鉄→茨城交通阿字ヶ浦駅
茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)の阿字ヶ浦は海水浴場として有名で、夏季は上野から海水浴列車が直通運転していました。

(「あじがうら」キハ58・鶯谷・1982年8月)
茨城交通線内は普通列車に連結されていましたが、その名残りで、ひたちなか海浜鉄道の一部の駅はホームがとても長いです。
今となってはキハ58系が上野にいただけでも不思議な感じがしますね。
国鉄→富士急行
富士山と富士五湖という観光地を持つ富士急行は、現在でもJRからの直通列車が運行されていますが、国鉄中央本線が非電化の時代は、なんと富士急行の気動車が国鉄に片乗り入れしていました。
中央本線が電化された後は、国鉄からの片乗り入れに切り替わり、115系、165系、183系、189系、201系、E233系、E259系など数多くの車両が乗り入れています。

(「ホリデー快速富士山」クハ189-14・大月・2015年1月31日)
富士急行への乗り入れは今後も活発に続きそうですね。
国鉄↔伊豆急行
東伊豆の温泉地を走る伊豆急行は、開業と同時に国鉄と相互直通運転を実施し、現在も続いています。昔は伊豆箱根鉄道の電圧が750Vだったので、三島駅で80系電車の配電を切り換えて乗り入れてしました。基本は首都圏から国鉄車両の優等列車が直通しています。車両は電車ばかりでなく、客車列車も電気機関車ごと乗り入れていました。

(「踊り子」EF58 61・大船~藤沢・1983年)
伊豆急行の車両は熱海までの直通運転ですが、伊豆急行の車両も不定期ながら首都圏に姿を見せています。
国鉄→伊豆箱根鉄道
今でこそ伊豆急行に比べると地味になっていますが、国鉄から西伊豆温泉郷への直通運転の歴史は伊豆箱根鉄道の方が長かったりします。

(「踊り子」クハ185-104・大場・2010年1月7日)
客車の乗り入れもありましたが、一貫して国鉄車両の片乗り入れが実施され、現在も185系「踊り子」が直通運転を実施中。
国鉄→大井川鐵道
SLで有名な大井川鐵道にも国鉄から直通臨時列車が運行されていたことがありました。昔は線路がつながっていれば割と柔軟な運用を組めていたんですね。
国鉄→富山地方鉄道
国鉄から富山地方鉄道宇奈月温泉への片乗り入れも1999(平成11)年まで実施されていました。475系「立山」や485系「スーパー雷鳥」、681系「サンダーバード」も乗り入れた実績があり、富山駅構内にはデッドセクションもありました。
富山地方鉄道に関してはもっと凄い片乗り入れ運転があって、名古屋鉄道キハ8000系「北アルプス」が神宮前~国鉄高山本線~富山地方鉄道という壮大な直通運転を実施していました。
JR東日本→東武鉄道
世界的観光地日光を巡る壮絶な乗客の奪い合いを繰り広げてきたのが国鉄と東武です。東武の勝利に終わったかに見えたこの戦いですが、自動車に惨敗。そして国鉄改めJR東日本と東武がまさかのタッグを組んで、日光、鬼怒川温泉への相互直通運転を実施しています。

(「日光」クハ481-1017・東武日光・2010年2月6日)
ケース2
私鉄から国鉄観光地へ乗り入れ
ケース1とは逆に大都市圏の私鉄列車が国鉄に乗り入れて観光地を目指す運行形態です。
小田急→国鉄・JR
箱根観光を重視する小田急が御殿場側からの観光を狙って気動車を製造し、国鉄御殿場線、御殿場駅まで片乗り入れを開始したのが始まりです。その後、御殿場線の電化で3000形SE車による連絡急行「あさぎり」を運行していました。

(「あさぎり」デハ3000・山北)
JR発足後JR東海との相互乗り入れ協定が結ばれ、「あさぎり」の特急格上げの上乗り入れ区間を沼津まで延長。小田急20000形RSE車とJR東海371系で運行されました。しかし現在は御殿場までの小田急片乗り入れに逆戻りし、60000形MSE車で運行されています。
南海→国鉄
南海電鉄が気動車を用意して、難波から特急列車を運行し、和歌山市から国鉄に片乗りいてしていました。そして紀勢本線で急行「きのくに」に併結されていましたが、そもそも「きのくに」の始発駅も難波駅にほど近い天王寺駅でしたので、不思議な乗り入れ関係でしたね。1985(昭和60)年に乗り入れを終了しました。
ケース3
私鉄から国鉄都市圏へ乗り入れ
都市から離れた場所にあった私鉄の車両が、国鉄に乗り入れて都市まで直通運転するパターンです。都市と言っても大都市に限らず、地方都市の例もありました。
羽幌炭鉱鉄道→国鉄
国鉄羽幌線築別を起点としていた羽幌炭鉱鉄道は、1958(昭和33)年から国鉄羽幌線の定期列車に併結されて羽幌まで片乗り入れしていました。炭鉱全盛期は羽幌も大きな町だったのですが、1970(昭和45)年に羽幌炭鉱鉄道は廃止。その後羽幌線も廃止されています。
留萌鉄道→国鉄
留萌鉄道は留萌港付近の貨物線と留萌本線恵比島を起点として昭和までの炭鉱路線を持っていましたが、1956(昭和31)年から留萌本線に乗り入れて、函館本線深川まで運行されていました。しかし1971(昭和46)年に留萌鉄道は廃止されました。
定山渓鉄道→国鉄
定山渓鉄道は国鉄函館本線白石を起点として定山渓温泉までの路線を運行していましたが、後に国鉄千歳線の開通で、接続駅として東札幌駅を開設。1931(昭和6)年に千歳線苗穂~東札幌間を直流電化して定山渓鉄道の電車による片乗り入れが始まりました。1957(昭和32)年に乗り入れを気動車に変更するとともに札幌まで直通運転を開始しましたが、1969(昭和44)年に定山渓鉄道は廃止。その後千歳線も新線に切り替わりました。
島原鉄道→国鉄
国鉄長崎本線諫早駅を起点とする島原鉄道は、1958(昭和33)年から長崎駅までの片乗り入れを実施していましたが、1960(昭和35)年からは準急、急行に併結して博多までの片乗り入れも実施していました。国鉄への直通運転は1980(昭和55)年まで実施されていました。
JR発足後もまだ乗り入れ運転は残っていますが、昔ほどの楽しさはなくなりましたね。