青函連絡ルートの変化 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1988(昭和63)年3月13日に青函トンネルが開通し、青函連絡ルートが大きく変貌を遂げました。そしてこの27年間でさらに変化し続けてきました。

(「スーパー白鳥」クハ789-301・渡島当別~釜谷・2006年8月27日)
青函トンネル開通以前の青函連絡ルートは青函連絡船でした。

(「羊蹄丸」船の科学館・2010年4月20日)
青函連絡船は1908(明治41)年から80年間に渡って青森~函館間を航行し、乗客だけでなく、貨車や自動車も航走。本州対北海道重要な連絡ルートとなっていました。晩年の所要時間は3時間50分。
廃止後保存された船のうち、この「羊蹄丸」は解体されてしまいましたが、八甲田丸が青森に摩周丸が函館で保存されています。

さて本題に戻ります。
青函トンネルも開通と聞くとどうしても豪華夜行列車「北斗星」に目が行きがちですが、本当の主役は青函連絡船に代わる青函連絡ルートを担う快速「海峡」です。

(「海峡」ED79 21・蟹田・1989年8月)
「海峡」用の車両はJR北海道が受け持つことになりました。そしてED75形700番代をベースに青函トンネル用ATC-Lや交流回生ブレーキなどを搭載改造した電気機関車ED79形を青函運転所に配置し、客車は50系2000番代に冷房装置を搭載して固定窓化、さらに転換クロスシートに交換改造した50系5000番代を函館運転所に配置しました。これに急行「はまなす」用の14系500番代札幌運転所配属車と増結用の14系500番代函館運転所配属車も加わって運行されました。

(「海峡」スハフ14-500・青森・1989年8月)
そのほか急行「八甲田」用14系0番代や12系が臨時で運用されたこともありました。
さらに50系51形も加わりました。当初は塗装を変更しただけでしたが、冷房装置の設置や電気暖房の搭載、さらに高速化などの改造を施して50系51形5000番代となっています。
オハ51形5000番代は改造の際にカーペット車となりました。

(オハ51 2004・青森・2002年8月6日)
カーペット車は青函連絡船の座敷を思い出させるものでした。

「海峡」の使命は青函連絡線と同じく、東北新幹線~「はつかり」及び、奥羽本線系統の列車と、北海道の列車を連絡することでしたが、青函トンネルの開通に伴い「はつかり」の函館延長運転も始まりました。車両はJR東日本の485系です。

(「はつかり」クハ481-1000・青森・1989年8月)
485系の北海道上陸は「いしかり」に使用されていた485系1500番代が撤退した1980(昭和55)年から8年振りとなりましたが、パウダースノーに悩まされる道央と違い、道南では485系でも問題なかったようです。
なお青函トンネルの走行に対応した編成はATC-Lを搭載。またパンタグラフをPS26B形に交換し、後に青函トンネル区間で140km/h運転を実施しました。これは当時在来線最速です。

貨物列車の牽引もJR北海道のED79形が担当。ただし青函トンネル区間の牽引力を確保するため重連運転を基本とし、補機専用のED79形100番代を用意しました。

(ED79 108・茂辺地・2004年5月15日)
ED79形0番代同士の重連は可能ですが、改造費を抑制するために補機専用機のED79形100番代を用意したわけです。そのためED79形100番代は単独で青函トンネルを通過することができません。

1989(平成元)年には貨物列車を増発するため、JR貨物がED79形50番代を10両新製しました。

(ED79 60・新中小国信号場・2010年12月4日)
ED79形0番代をベースとして、重連運用も可能ですが、塗色や形態に差異があります。一時は長町駅まで足を伸ばしていたこともあります。

1996(平成8)年から485系をリニューアル改造した3000番代が登場。

(「はつかり」クハ481-3000・青森・2002年8月6日)
特に前面デザインの改造が大がかりで、485系のイメージはすっかり変わってしまいました。でも走ってしまえばその音はやっぱり485系です。

青函トンネルブームが落ち着くと「海峡」の利用客も減少。そこで1997(平成9)年にカラオケカーを連結するなどの取り組みをしてきました。そして1998(平成10)年3月1日からドラえもんとのタイアップ企画が始まり、「海峡」とED79形はドラえもんのステッカーで装飾されました。

(「海峡」ED79 19・青森・2002年8月6日)
イベント期間中は吉岡海底駅にドラえもんワールドも展開しました。
また一部編成にはドラえもんカーも連結。

(オハフ50 5007・青森・2002年8月6日)
「海峡」は最後の客車普通列車として活躍しました。

1997(平成9)年には首都圏~函館を直通運転できる電気機関車としてJR貨物がEH500形を開発しました。

(EH500-22・釜谷~渡島当別・2006年8月27日)
東青森での機関車交換を不要とし、ED79形0番代+ED79形100番代の運用を徐々に置き換えていきました。

2002(平成14)年12月1日に東北新幹線盛岡~八戸間が開業。これによって盛岡~八戸間は第3セクターIGR岩手銀河鉄道と青い森鉄道に分離されるとともに「はつかり」「海峡」を廃止。八戸~函館間に「白鳥」「スーパー白鳥」が新設されました。
「白鳥」はJR東日本の485系を使用。

(「白鳥」クロハ481-3017・函館・2004年4月23日)
「白鳥」はかつて大阪~青森間の昼行特急として、同区間を走る夜行特急「日本海」と双璧をなしていましたが、久しぶりに「白鳥」と「日本海」の競演が復活しました。
なお津軽今別~木古内間は乗車券のみで特急の自由席に乗車できる特例が設けられました。

国鉄色の485系も活躍しました。

(「白鳥」クハ481-1016・函館・2005年12月17日)
ヘッドマークのデザインは昔のままで魅力的でしたが、2006(平成18)年に転出しました。

「スーパー白鳥」は事実上「海峡」の格上げ列車でJR北海道が新製した789系で運行されました。

(「スーパー白鳥」クハ789-202・中小国~津軽今別・2010年12月4日)
軽量ステンレス車体とげんこつ形状の前頭部デザインはJR北海道のアイデンティティ。登場当初は基本編成5両でしたが、後に6両編成に増車。増結用2両編成を加えて最大8両編成で運行されます。

「海峡」の廃止後、2003(平成15)年7月19日から781系を改造した「ドラえもん海底列車」を函館~吉岡海底間で運行開始しました。

(「ドラえもん海底列車」クハ780-7・木古内~知内・2006年8月27日)
しかし北海道新幹線の工事に備えるため2006(平成18)年で運行を終了しています。


2010年12月4日に東北新幹線八戸~新青森間が開業。これによって八戸~青森間は第3セクター青い森鉄道に分離されました。そして「白鳥」「スーパー白鳥」の運転区間も新青森~函館間に変更されています。
同時に「スーパー白鳥」の増結編成として、余剰となっていた785系を改造した785系300番代が加わりました。

(「スーパー白鳥」クハ784-303・青森・2020年12月4日)
789系とはまったく違う形態なので、違和感がありますが、そこがまた楽しい面でもあります。

そんな青函連絡列車ですが、2016(平成28)年3月の北海道新幹線開業に伴い大きく変化します。
旅客列車については新幹線に移行し、485系と785系は引退。789系は道央に転用される模様です。また貨物列車も在来線の交流20,000Vと新幹線の交流25,000Vに対応したEH800形が登場し、EH500形とED79形が撤退することになります。
今年は青函トンネルを行き交う在来線を記録する最後のチャンスということですね。