結局583系「ゆうづる」で青森に向かい、青森から快速「海峡」に乗車して渡道することに。「エルム」を見送ってから上野を発ちました。

(「エルム」EF65 1019・上野・1989年8月)
この頃の「エルム」は黒磯で機関車交換をしていて、直流電化区間はEF65PFが牽引。この日は「スーパーエクスプレスレインボー」カラーのEF65 1019が先頭に立っていました。現在のEF65 1118は二代目に当たります。
青森に到着後、しばらくは青森で撮影を楽しみました。
ブルートレイン最後の牙城のひとつとなった「あけぼの」。

(「あけぼの」ED75 714・青森・1989年8月)
ED75形700番代は国鉄時代から山形~青森間で「あけぼの」を牽引していました。このあと新庄~青森間に変更され、羽越本線経由に切り替わるまで活躍しました。
「日本海1・4号」は大阪から長躯EF81形が牽引する体制になっていました。

(「日本海」EF81 105・青森・1989年8月)
さらに、この列車にはマニ50形5000番代を連結。マニ50形5000番代にはオートバイを積載し、ライダーを寝台車で運ぶ「日本海モトとレール」として運行していました。
「日本海1・4号」は青森から方向転換して函館まで運転していました。青函トンネル区間は専用機関車ED79形が牽引。

(「日本海」ED79 11・青森・1989年8月)
方向転換に伴ってマニ50形5000番代を最後尾に付け替えるため、かなり複雑な入れ換えをしていました。
なおED79形を含む北海道内を走行する電気機関車は常に2エンド側のパンタグラフを使用しているのが特徴でした。
さて、青森での撮影後、快速「海峡」で函館に渡って函館駅に向かいました。そして函館駅で野宿。翌朝「北斗星」を出迎えました。

(「北斗星」ED79 17・函館・1989年8月)
この3月で臨時化されてしまった「北斗星」ですが、この当時は北へ向かうフラッグシップ的存在でした。
このあと「北斗」札幌へ行き、「利尻」に乗り継ぎました。

(「利尻」スハネフ14-500・札幌・1989年8月)
北海道で長年使用されてきた旧型客車を置き換えるため1981(昭和56)~1982(昭和57)年に14系を耐寒耐雪改造した500番代を投入。急行でしたが北海道に舞い降りた立派なブルートレインでした。
電化区間はED76形500番代が牽引。

(「利尻」ED76 516・札幌・1989年8月)
驚くほど大きなヘッドマークですね。これは非電化区間を担当したDD51形と共通のものだったようです。
「利尻」「宗谷」で稚内を1往復したあと、今度は「大雪」で網走に向かいました。

(「大雪」ED76 518・札幌・1989年8月)
こちらもED76形500番代とDD51形500番代のリレーでした。
網走に到着した「大雪」。

(「大雪」スハネフ14-500・網走・1989年8月)
14系って結構端正ですよね。
網走から釧路、根室へ移動して、釧路から「まりも」で札幌に向かいました。

(「まりも」スハネフ14-500・札幌・1989年8月)
この写真は前々日に札幌駅で撮影した下り列車です。実はこの当時、多客期には最後尾にキハ56系を増結することがあったためでした。
これらの14系急行がやがて気動車併結寝台列車になるとは、このときは思いもしませんでした。
帰京する前に、もう一度函館に行ってここから「エルム」に乗車。

(「エルム」マニ24 502・函館・1989年8月)
ブルートレインの電源車には需要を補うために改造された珍車がいくつか存在しましたが、このマニ24形500番代もそのひとつで、マニ50形を改造したものです。そのため裾絞りがない車体が特徴的。
この頃の北海道はブルートレインで賑やかだったです。