
(「さよならEF55碓氷号」EF55 1・新町~倉賀野・2009年1月17日)
EF55形は1936(昭和11)年に製造された旅客用電気機関車です。1932(昭和7)~1934(昭和9)年n製造されたEF53形をベースとしていますが、当時流行していた流線型ブームに乗って流線型の車体を採用したのが大きな特徴です。

(EF55 1・高崎第二機関区・1985年3月)
流線型にする本来の目的は高速運転時の空気抵抗の減少させることにあります。EF53形では2軸の先台車上にデッキを備え、前面から乗降する車体構造でしたがEF55形の1エンドは先台車上に流線型の先頭部のノーズが乗っているようなかたちになっています。連結器は格納されカバーで覆って平滑化されました。同じく平滑化のために、車体はリベット構造ではなく電気溶接で製作されています。また車体の下部にはカバーを備えました。そのほか前照灯は砲弾型のデザインで、尾灯も埋め込まれていました。
さらに客車との連結面の段差を極力解消するため、2エンドの前面は切り妻として1軸先台車を備えていました。

(EF55 1・尾久車両センター・2006年11月11日)
新製当初は構内入れ換え用の簡易運転台という位置づけで前照灯もなかったそうです。なおKE1形ジャンパ連結器が見えますが、当時の東海道本線では直流1,500Vの電気暖房を使用していた関係で装備されたものです。
そんな流線型機関車でしたが、当時の国鉄は最高速度が95km/hで流線型の効果はほとんどありませんでした。逆に常に1エンドを先頭にしないといけないため、いちいち方向転換しないといけないことと、カバーが邪魔で保守点検に手間がかかるため、3両が製造されたのに留まりました。
1938(昭和13)年ごろには1エンド側の連結器を出したまま固定し、2エンド側の運転台も本線運転ができるように改造されたようです。
戦後の1952(昭和27)年にEF55形は高崎第二機関区に転属して高崎線で使用されましたが、この時点で連結器カバーと側面カバーを撤去しています。
そんなEF55形でしたが1955(昭和30)年に速度向上試験を実施。カバー類を戻して120km/hでの走行試験を実施して、国鉄の高速化へのデータを残しています。
1962(昭和37)年に3号機が機器を交直両用電気機関車ED30形に譲って廃車となり、1964(昭和39)年には1号機と2号機が廃車されました。1号機は廃車後中央鉄道学園で教材として使用された後、高崎第二機関区に戻って留置されていました。
そんな1号機に転機が訪れたのは1978(昭和53)年のこと。1号機が準鉄道記念物に指定されたのです。1号機は有志たちの手で復元され、自力走行ができる状態まで戻されました。
そして、1985(昭和60)年に開催された高崎第二機関区の一般公開でその勇姿を披露しました。

(EF55 1・高崎第二機関区・1985年3月)
その後大宮工場で動態復元され、1986(昭和61)年6月24日に車籍が復活。

(EF55 1・大宮総合車両センター・2004年6月5日)
本線運転の復活に際して1エンド側の連結器は出された状態となりましたが、数々のイベント列車の先頭に立ちました。
2006(平成18)年には車齢70年を迎えました。

(「EF55誕生70周年記念号」EF55 1・新町~倉賀野・2006年12月2日)
しかし2007(平成19)年に電動空気圧縮機が故障し、出番も激減しています。
そして2009(平成21)年にさよなら運転を実施しました。

(「さよならEF55碓氷号」EF55 1・横川・2009年1月11日)
さよなら運転は1月11日と1月17日に実施。本当のラストランはヘッドマークなしで運転されました。

(「さよならEF55碓氷号」EF55 1・西松井田~横川・2009年1月17日)
引退後EF55 1は高崎車両センターの転車台に設けられた車庫で保管されていました。
今回の鉄道博物館の展示ですが、ゴールデンウィーク前に公開する模様。ヒストリーゾーン内で転車台上の展示も検討しているとのことですが、となるとC57 135と一時的に後退するような暫定的な展示なのかもしれないですね。
いずれにしても、最近は見ることができなかっただけに話題を呼びそうですね。