幻の187系特急形電車 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

国鉄時代末期に計画されたものの幻に終わった直流特急形電車、それが187系です。


187系が計画された背景は、信越本線横川~軽井沢間にある66.7‰の急勾配が連続する碓氷峠にありました。この急勾配区間を自力で登坂できる電車はなく、専用補機のEF63形の重連が補機として麓側に連結され、碓氷峠を行き来していました。

(EF63 11・横川~軽井沢・1997年9月)
当初は電車も気動車も無動力だったで、すべてをEF63形に頼っていたため、台枠や緩衝器を強化したほか、連結両数を8両に制限していました。しかしこれでは輸送力が不足するため、EF63形と電車を協調運転させることで12両編成化を可能とした169系が登場しました。

(「志賀」クハ169 22・鶯谷・1982年8月)
169系は、167系に続いて順当に与えられた形式でしたが、169系登場以後横軽協調運転仕様の電車の下一桁を9とするようになり、協調運転仕様の交直両用特急形電車は487系と飛ばして489系とされました。

(「白山」クハ489-1・横川~軽井沢・1997年9月)
協調運転仕様の直流特急形電車もこれに倣って185系、187系を飛ばして189系とされました。

(「あさま」クハ189-2・横川~軽井沢・1997年9月)
169系、189系、489系によって信越本線の輸送力は確保できたわけですが、補機を連結、解放する時間などのロスによって、所要時間短縮には限界がありました。
そこで国鉄が計画したのが、補機なしで碓氷峠を通過可能な特急形電車187系でした。
187系の計画は1985(昭和60)年に発表されました。当初はアルミ車体で軽量化する計画もあったようですが、財政難のまっただ中だったこともあり、1985(昭和60)年3月のダイヤ改正で余剰となったサロ183形を種車とすることが発表されました。

これは国鉄が発表したイメージスケッチですが、サロ183形と同じような狭窓が並んでいますね。先頭部は185系を貫通構造にしたような形状ですが、これは新製した先頭部ブロックを結合する構想だったのでしょう。当時の国鉄はこのブロック結合で多数の先頭車化改造を実施しています。

クモハ187形の形式図を見ると、シートピッチは種車の1,160mmのままのようなので、もし登場していたらかなり豪華な車両になっていましたね。

台車はボルスタレス台車になっていますのね。走行システムは新造し添加界磁励磁制御となる計画だったようです。なお普通車は4両1ユニットで、Mc+M'+M'+Mcで構成。これを2ユニット用意する計画でした。

このユニット間にはハイデッキ構造のグリーン車を連結する計画でした。

普通車がグリーン車並みだったので、グリーン車は観光列車並の設備とするつもりだったようですね。
187系は189系よりも14分程の所要時間短縮を目論んでいたようですが、189系や489系のスピードアップが実施されたことで、改造に対する費用対効果が希薄になってしまい、計画は頓挫。改造予定だったサロ183形は近郊形改造されサロ110形300番代となりました。また

こうして計画のみで終わった187系。そして1997(平成9)年に北陸新幹線が開業して、信越本線碓氷峠の歴史も幕を閉じました。187系が実際に登場しても活躍できた時間はそう長くなかったかもしれないですね。