JR東日本の特急形車両を考察してみる「第1世代」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1987年4月1日に国鉄は分割民営化され、JR7社として再スタートを切りました。分割民営化直前に北海道、四国、九州には新車が与えられ、JR東日本にも国鉄車として最初で最後の207系900番代を与えられました、これで当分在来線の新形式は登場しないのかと思ったらそんなことは全然なく、1989年3月11日のダイヤ改正で「スーパーひたち」が登場しました。

(「スーパーひたち」クハ650-17・北松戸~馬橋・2011年2月5日)
さて、JR発足後最初に登場した交直両用特急形電車に与えられた形式は651系です。国鉄時代の形式称号では電気方式を示す百の位の数字は4~6。十の位の数字は用途を示し、5~7は急行形で、特急形は8でしたが、この時は487系、585系以降が空いていましたが、それらを使用せずに651系としました。元々1959年の形式称号改正時に設定された時は十の位5~8が長距離用であったことと、すでに急行形車両の新規製造はなく、今後形式が増えていくことを考慮してまったく新規の651系としたのだと思います。

常磐線はビジネス的に重要な路線ということで、最高速度130km/hで運転することを最大の売りとしました。130km/h運転仕様車としてはすでにJR九州783系が登場していましたが、130km/hでの営業運転は651系の方が先になっています。
その最高速度に対して「タキシードトレイン」と呼ばれた落ち着いた車体は、783系を始め多くの車両が採用した軽量ステンレスではなく普通鋼製。まだアルミ車体の製造コストが高い時代であり、塗装車体を採用するためには普通鋼を選ばざるを得ませんでした。ただし、軽量ステンレス開発時に会得した有限要素法による強度解析を応用し、薄板化と軽量化を行なっています。
動力システムは界磁添加励磁制御、軽量ボルスタレス台車、MT61形主電動機など国鉄時代の技術を継承。開発コストの低減と信頼性の確保を図っています。これがJR東日本特急車第1世代なのです。

老朽化した485系と置き換えるために登場した651系ですが基本7両編成と付属4両編成9本ずつの99両しか製造されませんでした。当時の「ひたち」は特急「ひたち」と急行「ときわ」を統合していたので、元特急「ひたち」の速達列車を置き換える最低限の両数が製造されたようです。
後継のE657系に置き換えられた651系の一部は3月15日から「あかぎ」「スワローあかぎ」に転用されますが、やはりビジネス需要に対応しているあたりが面白いですね。

1990年4月28日には251系「スーパービュー踊り子」がデビュー。

(「スーパービュー踊り子」クロ250・早川~根府川・2013年3月4日)
こちらも形式の十の位を5として登場です。
「スーパービュー踊り子」は伊豆へ向かうリゾート特急に特化し、2階建て構造やハイデッキ構造を採用したほか、展望席、グリーン個室、ラウンジ、子どもスペース、セミコンパートメント席などを配置していました。リニューアル時にセミコンパートメントは廃止されましたが、このようなグループ席は運用が難しいようです。
651系同様、動力システムや普通鋼製車体など既存の技術を採用していますが、列車の性格上最高速度は120km/hのままです。
目的がより明確なので、10両編成4本が製造されたのみ。リニューアルを行ないながら現在も使用されていますが、今後もリニュアールをするのか、それとも後継車を製造するのか気になるところ。
結構混んでいるのある程度の需要はあるとは思うのですが。

1991年3月19日、成田空港へのアクセス特急「成田エクスプレス」の運転が始まりました。この「成田エクスプレス」用に製造されたのが253系です。

(「成田エクスプレス」クロ253-3・物井~佐倉・2004年8月22日)
空港アクセス特急は京成電鉄の「スカイライナー」がありましたが、成田空港直結のルートの完成に伴ってJR東日本も参入した形です。
需要の関係か、当初3両編成21本を投入。そのうち12本は6両編成化され、2002年の100番代6両編成2本を増備したので、最終的には3両編成9本27両と6両編成14本84両の111両という大所帯となりました。
最高速度は130km/hを誇る253系も、従来通り普通鋼車体と添加界磁励磁制御を採用。車体断面形状は独特のものとなっています。
客室設備は欧州のエアポートアクセス列車を参考にしたボックス配置のクロスシートとしましたが、これが乗客には大不評で、後に集団見合い式の固定クロスシートに変更しています。また大きい荷物を納めるための荷物置き場などを設置しているのもエアポートアクセス列車らしいです。グリーン車は1+1という贅沢なリクライニングシートと個室を備えていました。
FIFAワールドカップ開催時に増備された100番代はリクライニングシートを配置。グリーン車も1+2に変更されています。この100番代はリニューアルされて1000番代として東武直通特急に転用されましたが、0番代はE259系に置き換えられて引退。このうち3両編成2本が長野電鉄に譲渡されて2100形「スノーモンキー」として活躍しています。

ビジネス特急、観光特急、エアポートアクセス特急と続きましたが、次に登場するのは房総向け。ビジネスと観光を両立させるべく開発されたのは255系「房総ビューエクスプレス」で、1993年7月2日から営業運転を開始しています。

(「さざなみ」クハ255-2・岩井~富浦・2007年2月12日)
車体断面が253系によく似た普通鋼製の車体を持つ9両編成ですが、動力システムはVVVFインバータ制御を採用。JR東日本の特急車初のVVVFインバータ車です。
主変換装置は901系で試験された東芝製の1C1M個別制御仕様。ひとつのインバータでひとつの主電動機を制御するこの方式は、インバータがひとつ故障しても他のインバータで運転を継続できるという冗長性を持っていて、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州ではスタンダードとなりました。しかしJR東日本は長編成が多いせいか以後1C4M一括制御のみが採用されています。
客室設備はオーソドックスなリクライニングシートとなっています。
製造されたのは9両編成5本。これまた最小限の製造にとどまっています。
ATCを備えていなかったので投入当初は東京地下駅に乗り入れることができませんでしたが、総武地下線がATS-Pに変更されてからは「しおさい」での運用も始まりました。現在は「さざなみ」「しおさい」の衰退で主な活躍の場を「しおさい」に移しています。

そしてJR東日本特急車は中央本線にも登場。E351系は1993年12月23日から「あずさ」で運用を開始。翌1994年12月3日からは「スーパーあずさ」となりました。

(「スーパーあずさ」クハE351-1001・2007年12月1日・高尾~相模湖)
一番のエポックは形式の頭に「E」がついたこと。Eとは当然ながらEastの頭文字で、以後JR東日本の車両にはEが冠されています。
ビジネスと観光両面を見ているという点では255系に近いですが、高速バスとの厳しい競争が要求された路線でもあり、カーブ区間での速度向上を図って制御付きコロ式自然振り子装置を搭載。百の位が3なのは振り子車両381系を倣ったものようですね。国鉄時代に振り子車を投入した中央西線、篠ノ井線、紀勢本線、伯備線は電化の際にカーブ区間架線を内側に変位して張っていますが、既存の電化区間では架線を位置を変えることができないため、パンタグラフ基台と台車を支柱でつなぐ事でパンタグラフの位置を一定としています。
先行車はGTO素子のVVVFインバータ制御と採用。量産車は素子をIGBTに変更するなど、先行車と量産車では細部の仕様が異なります。
普通鋼の車体と高運転台を採用。また空調の熱交換器を屋根上に搭載したため重心が高くなるなどの問題や、製造コストやメンテナンスコストの問題もあり、結局基本8両編成と付属4両編成を5本ずつ、60両の製造に終わっています。そして後継車のE353系は空気バネ上昇式車体傾斜装置を搭載するので、JR東日本の振り子車はE351系限りになりそうです。

どこまでを第1世代とするかは議論の余地があるかとは思いますが、自分としてはE351系までは第1世代だと思っています。途中で駆動装置の進化も見られましたが、どの形式も目的がハッキリしているというのがポイントかと思います。