
(「あさぎり」60552・松田~東山北・2013年5月16日)
MSEのMはMultiのM。地下鉄乗り入れから、箱根・江ノ島ロマンスカー、通勤特急、そして御殿場線乗り入れと、活躍ぶりは文字通りマルチです。
この小田急の御殿場線乗り入れは1955年10月1日からスタートしました。
これは小田急電鉄が箱根観光や富士五湖観光のルートとして御殿場を強く意識していたためですが、御殿場線沿線からは東京直通運転が望まれていたという面もありました。
余談ですが小田急~御殿場線の直通運転は、第2次世界大戦中に東海道本線根府川付近の白糸川橋梁が爆撃された際の代替ルートとして準備されたことがルーツとなっているようです。結局終戦で橋脚の建設のみで中止。その後小田急を取り込んでいた東京急行電鉄(大東急)が乗り入れ構想を打ち出したものの、大東急の解体で頓挫した歴史があるようです。
当時の国鉄御殿場線は非電化だったため、小田急はキハ5000形気動車を投入。「銀嶺」「芙蓉」各1往復が設定されました。この列車ですが、小田急線内は特急扱いでしたが、国鉄線内は準急扱いだったため、特別準急という種別となっていました。
また御殿場線内を小田急の乗務員がそのまま乗務する形態が採られました。これは当時の御殿場線には気動車列車が存在しなかったからです。なお御殿場線は連続急勾配の路線だったこともあり、キハ5000形はエンジン2基搭載車として登場しています。
1956年にはキハ5100形を増備。1959年7月2日には「銀嶺」「芙蓉」「朝霧」「長尾」の4往復体制に増強されました。
1968年7月1日に御殿場線が電化され、直通車両も3000形SE車に変更され、列車名も「あさぎり」に統一。ヨンサントウ白紙ダイヤ改正以降は種別を連絡急行とされています。

(「あさぎり」・駿河小山)
この直通運転に際して8両編成だったSE車を5両編成に短縮改造しています。また小田急の乗務員が御殿場まで直通する形態も引き継がれました。
JR東海発足以後、「あさぎり」の運転区間を沼津まで延長し、なおかつJR東海も車両を用意して相互乗り入れを実施することになり、1991年3月16日に特急に格上げています。
2階建て車両2両を含む7両編成は小田急とJR東海の協定によって製造されていますが、外観デザインを含めてかなり自由度が高くなっていました。
小田急は20000形RSE車を投入。

(「あさぎり」20002・足柄~御殿場・2012年2月28日)
ボギー車ですが、10000形HiSE車と同じハイデッキ構造を採用。動力システムもHiSE車と同じです。
JR東海も371系を投入。

(「あさぎり」クモハ371-1・裾野~長泉なめり・2012年3月3日)
こちらは添加界磁励磁制御車ですが、カラーリングを含めて100系新幹線を意識したデザインとなっていました。編成番号もX1編成と100系と同じでした。
この沼津相互乗り入れ運転は2012年3月16日で終了しましたが、小田急にとっては本来の意図通りの運転であり、「あさぎり」は身の丈に収まったのかなという印象ですね。