その留置線の中にはE4系2編成の他、200系K51編成の姿が見えました。

(222-1518・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
K51編成は定期運用終了後のTYOツアー列車に使用されていました。
新潟新幹線車両センターでは廃車車両の解体作業も行なっています。解体線には200系K43編成がいました。

(221-1003/226-1011・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
これは1号車と、2号車。221形は連結器カバーが外されていてもの寂しかったです。
奧には5号車と6号車が留置されていました。

(225-1005/226-1013・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
そして7号車は解体途中!

(225-504・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
車体中央部分はすっかり重機の餌食となっているのがもの悲しかったです。
さらにE1系M4編成の先頭車が置いてありました。

(E153-104・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
これはニコニコ超会議での解体ショーのために置いてあるのでしょうか?
だとするとせつなすぎます。
奧の検修庫にはE2系とE4系の姿が見えましたが、その南側には200系K25編成の先頭車221形がシートで厳重に保護されて保管されていました。

(221-1505・新潟新幹線車両センター・2013年4月14日)
2004年10月23日17時56分ごろ、「とき325号」として長岡駅手前を200km/hで走行中に新潟県中越地震の直撃を受け、10両編成中8両が脱線したのがK25編成。JR東日本では事故の教訓を活かすためK25編成の車両を白河の研修センターに保存すると言われています。
この事故は新幹線営業列車初の脱線事故だったため、日本のマスコミはこぞって「新幹線安全神話の崩壊」と報じていました。たしかにK25編成は運悪く震源地の直上を走行していたため、早期地震検知軽装システム「ユレダス」による強制停電が間に合わず脱線していますが、それ以外の列車はすべて無事に停車し、対向列車の衝突などの2次事故は発生しませんでした。
また脱線現場付近の高架橋は阪神・淡路大震災の教訓を活かして補強工事が完了しており、高架橋が崩壊しなかったことも功を奏し、死傷者を出さなかったことは海外では高く評価されているそうで、むしろ200系K25編成は安全の象徴として語り継いでもいいのではと思います。
実際K25編成脱線の教訓は様々な形で活かされています。その姿は一般に公開されることはないでしょうが、これからも新幹線の安全に役立てて欲しいものですね。