
(クハ202-1・代々木上原・1982年11月)
常磐緩行線~営団地下鉄千代田線直通運転用車両としては千代田線開業時より103系1000番代が活躍していました。103系1000番代の制御方式は抵抗制御で、電気ブレーキも回生ブレーキではなく発電ブレーキを搭載していたため主抵抗器からの発熱による千代田線トンネル内の温度上昇が問題となっていました。しかも千代田線での起動加速度3.3km/h/sを確保するために電動車比率を高めて8M2Tとしていることも発熱量増加に拍車をかけ、電力消費量も増大。
そこで201系ベースのサイリスタチョッパ制御器を搭載し、なおかつアルミ車体を採用して軽量化し、6M4Tながら営団の要求する加速性能を満たしつつ省エネルギー化と冷房化を達成させたのが203系です。
第1編成は103系1000番代の置き換え用ではありませんが、いわば量産先行車的存在。車号が緑色でプレートの上に配されたほか、側面幕板部に「JNR」ロゴがないなどの外観的特徴がありました。

(クハ202-1・松戸・1982年)
通勤形電車のアルミ車体は301系以来となりましたが、戸袋窓が廃止された姿は国鉄初のものです。前面は立体感のあるデザインでこれまた国鉄離れしていた感があって好きでした。
地下鉄乗り入れ用なので前面に非常口と梯子も備えていましたが、なんだか頼りないですね(笑)
なお、203系第1編成の編成番号はマト71編成でしたが、後にマト51編成に変更されました。
1984年からは103系1000番代を置き換えるための第1次量産車の製造が始まりました。

(クハ203-2・新松戸・1984年)
量産車は車体側面に「JNR」ロゴが装着されたほか、車号は黒文字となり車体に直接印字されています。第1次量産車はマト72~78編成(後のマト52~58編成)7本70両が製造されました。
1985年には第2次量産車として203系100番代が製造されました。
205系で採用したボルスタレス台車や半永久棒連結器、201系軽装車に倣ったコストダウンなどを実施。軽量化も果たしています。

(クハ202-102・北松戸~南柏・2002年10月6日)
203系100番代の編成番号は0番代と区別され、マト61~69編成となっています。こちらの編成番号は引退時までそのままでした。
203系は全車松戸電車区(現・松戸車両センター)に配置されていましたが、2007年にE233系2000番代を投入して置き換えることが発表されました。この置き換えは予定よりも1年ほど遅れた2009年度から始まり、2011年9月26日に置き換えが完了しました。
終始松戸離れることなく引退した203系。

(クハ202-1・北松戸~馬橋・2011年2月5日)
第1編成であるマト51編成を始めとしたマト52、66、68、69の5本はインドネシアに譲渡されました。
またマト53~56編成はフィリピンに譲渡されました。

(クハ203-4・北松戸~馬橋・2011年2月5日)
海外で活躍することになった203系ですが、国内からは保存車もなく消滅してしまったようです。

(クハ202-109・北松戸~馬橋・2011年2月5日)
203系に置き換えられた103系1000番代の一部は105系化されたものの現役であることを考えると少々複雑な思いがしますね。