最後の牙城でもあった同線ですが、ついに新性能電車に置き換えられる時がやってきました。置き換えは2回に渡って実施されましたが、1982年に豊橋機関区に165系を転属させて80系を置き換えると共に119系近郊形電が新製配置されました。

(クハ118-3・豊橋・1983年4月)
車体、システム共に105系をベースとした1M方式の電車でクモハ119形とクハ118形が新製されました。前面デザインは105系と同仕様。近郊形なので車内はセミクロスシートとなっていますが、また窓配置は近郊形や105系と異なり、扉間に小窓が1枚増えています。
主制御器は105系のCS51形をベースに使用線区の環境から勾配抑速ブレーキを搭載したCS54形を搭載。主電動機MT55形4個を永久直列接続しているのは105系と同様。
しかし製造コスト削減の観点からクハ118形の台車は101系廃車発生品のDT21を流用したほか、電動発電機(MG)、電動空気圧縮機(CP)も廃車発生品を流用するなど国鉄時代末期の財務事情がうかがい知れる面もありました。
119系はMcT'cまたはMcMcT'cの編成によって、2、3、5両編成で運用。
1983年には伊那松島機関区に集結していた戦前形旧型国電を淘汰すべく119系が増備されました。この結果1983年6月に飯田線の新性能化が完了。

(クモハ119-5・伊那松島・1983年6月)
119系との出会いは当然ながら旧型国電引退のタイミングです。旧型国電にとどめを刺した存在として鉄道マニアからは忌み嫌われた119系ですが、自分はなぜかあまり嫌いではなく、グリーンマックスからNゲージのキットが発売された時に即買いして組み立てたりしていました(笑)
かと言って積極的に撮影しに行くこともなく、たまたま豊橋に立ち寄った際に撮影した程度でしたが。

(クモハ119-5105・豊橋・2004年7月19日)
このクモハ119-5105は1988年にクモハ119形9両を両運転台化した100番代の内の1両で、C-AU711D-G3形集約分散式クーラーを搭載し、車号を+5000としたものです。この姿、個人的に好きでした。
なお119系2両編成でC-AU711D-G3形集約分散式クーラー搭載車も車号を+5000としています。さらにワンマン対応改造された車両は+5300とされていましたが、現役時代には出会えませんでした。
119系は全車JR東海に承継されましたが、JR東海は2006年以降急速に国鉄形電車の淘汰を進めていきました。当然119系も例外ではないと思われたので、たまに豊橋に立ち寄った際には119系を撮影したりしていました。
屋上にAU75形集中クーラーが搭載されているクモハ119-28は1986年に冷房改造、塗色変更されて東海道本線静岡地区の高頻度運転電車「するがシャトル」に転用された車両。後に御殿場線にも運用範囲を広げましが、119系は駅間距離が短い線区向けの加速重視仕様で、最高速度が高い東海道線での使用には向かず、短期間で飯田線に戻っています。

(クモハ119-28・2010年9月17日)
なおクモハ119-28は1983年度製造車で、運転台窓下の手すりの高さが若干高くなっていました。
そして予想通り2011年に119系の引退が発表され、213系5000番代と313系3000番代への置き換えられて2012年3月17日のダイヤ改正で定期運用を終了。原色に戻されていたE4編成によるさよなら運転が実施され、3月31日には完全引退しました。

(クモハ119-5108/クハ118-5006・飯田・2012年3月11日)
天竜川をイメージしたカラーリングでデビューした119系も過去の姿となりましたが、5編成がえちぜん鉄道に譲渡されます。

(クモハ119-5008・田切~伊那福岡・2012年3月11日)
VVVFインバータ化され、顔も整形手術されてしまいましたが、彼らには新天地でも活躍してもらいたいものです。一度見に行ってみたいと思っています。