
(クハ200-145・豊田電車区・2006年10月14日)
軽装車以外にも青梅・五日市線用編成がありましたが、中央快速用と異なり種別表示幕は未装備。
青梅線の青梅~奥多摩間はED16以来の名撮影ポイントが数多くありました。

(クハ200-74・二俣尾~軍畑・2007年8月21日)
軍畑の鉄橋もそのうちのひとつ。
JR西日本の201系は321系の投入によって京阪神緩行線から撤退し、森ノ宮電車区へ転属して、大阪環状線での運用が始まりました。

(クハ200-62・大阪・2007年2月11日)
2005年12月15日から運用を開始した第1陣、クハ201-62以下の編成は元C2編成。京阪神緩行線は4M3Tの7両編成でしたが、元C27編成のサハ201-96を組み込んで8両編成化されています。なおこの編成は検査周期の都合でスカイブルーのまま転属し、2009年にオレンジバーミリオンに塗り替えられました。この結果JR西日本からスカイブルーの201系が消滅。
一方で関西でもオレンジの201系を見ることができるようになりました。

(クハ200-68・大阪・2007年2月11日)
当初、201系は全車大阪環状線に転属させて、サハ201形を2両組み込んだ編成と、4両編成を2本連結した編成、そして中間車が全部電動車の6M2T編成の3種類が登場する計画となっていましたが、6M2T編成は変電所への負担が大きかったらしく、また編成を統一した方が都合がいいため、サハ201形2両入りに統一し、8両編成16本の配置に変更されました。
大阪環状線への転配計画の変更で、サハ201を抜かれた6両編成は関西本線に転用。6両編成16本が活躍しています。

(クハ201-122・今宮・2007年2月11日)
まさかのウグイス色の登場です。KATOが201系900番代を製品化した際にウグイス色も製品化しましたが、ここに来てようやく現実のものとなりました。前面に白いラインが入っていますけど。

(クハ200-139・河内堅上~三郷・2010年4月3日)
体質改善工事で姿は若干変わり、活躍の場所も変わりましたが201系JR西日本車はまだまだ安泰だと言えそうです。
しかしJR東日本車の終焉は突如やって来ました。後継車のE233系が2006年12月26日から運用を開始して201系の置き換えが始まったのです。

(クハ200-49・豊田~八王子・2007年12月1日)
その置き換えペースの速さはびっくりするほど。
中央快速用の201系も10両貫通のT編成が先に淘汰されました。

(クハ200-50・荻窪・2007年11月12日)
そして201系とお堀の桜との組み合わせが見られなくなる日も近づいてきました。

(クハ200-105・飯田橋~市ヶ谷・2008年4月2日)
このまま一気に201系が置き換えられるかと思いきや、高架工事中の武蔵小金井駅の配線の関係で所要数が不足することから201系2編成が暫定的に残されました。
残ったのはH4編成。

(クハ200-108・西荻窪・2008年4月10日)
そしてH7編成です。

(クハ201-128・大月・2008年3月22日)
H4編成とH7編成は2010年10月まで最後の力走を見せることになりますが、そのお話しは次回にしましょう。
青梅・五日市線にもE233系が投入され、201系は2008年3月までに撤退しています。

(クハ200-35・立川・2007年10月13日)
また、201系には2001年に観光用に改造された「四季彩」も存在しました。

(クハ201-134・青梅・2009年7月11日)
「四季彩」は2009年6月28日で運用を終了し、7月11日のさよなら運転をもって引退しました。
JR東日本201系の最後の牙城となったのは京葉線。

(クハ201-111・蘇我・2010年12月25日)
京葉線もE233系5000番代の投入により2011年6月20日で定期運用を終了。

(クハ200-112・蘇我・2010年12月25日)
これによってJR東日本から201系が消滅しました。
リニューアルされて活躍を続けるJR西日本車とは対照的な運命となりましたね。