
(「あさま」クハ189-500・鶯谷・1987年3月)
169系、489系登場後も、信越本線の主力特急「あさま」のほとんどは依然として181系8両編成でしたが、189系の登場で信越本線の輸送力増強を果たしました。
489系同様、形式は169系の9に関連性を持たせ、185系、187系を飛ばして189系と命名されました。
ベースは1972年登場の183系0番代で、協調運転機能を使わなければ混結も可能。ただし、耐寒耐雪性能の向上、信頼性の向上などを図るため、先頭車は非貫通構造となり、両先頭車の電動発電機(MG)の他にバックアップ用MGをサロ189形に搭載する3MG方式を採用。また、パンタグラフをM'車のモハ188形に搭載している点が異なります。なお189系の設計中に上越線の新型特急形電車が急遽必要となり、189系をベースとした183系1000番代が開発され、189系よりも早くデビューしていますが、ベースは189系だと言えます。
189系は最初10両編成で新製され長野運転所181系が受け持つ「あさま」、そして「あずさ」に投入されました。続いて489系「あさま」運用の置き換え用1編成と12両化のためのモハユニットが製造されています。

(「あさま」クハ189-1・日暮里・1982年11月)
「あさま」の他、上野~中軽井沢間に運転されていた季節特急「そよかぜ」にも189系が使用されていました。

(「そよかぜ」クハ189-15・鶯谷・1982年8月)
1982年は東北、上越系統の特急列車が廃止されるので盛り上がりましたが、信越系統は安泰で、フィルムを節約するためにあまり撮影をしませんでした。

(「あさま」クハ189-501・鶯谷・1982年8月)
1982年11月15日以降、上野口の主役は「あさま」と「ひたち」に。189系も増強されましたが、国鉄時代末期だったため485系や183系1000番代からの改造車で賄っています。

(「あさま」クハ189-1516・鶯谷・1987年4月)
189系1000、1500番代は183系1000番代を改造した車両。183系1000番代は189系をベースとしていたことと、協調運転回路の準備工事済みだったため改造は容易でした。外観上の違いは先頭車助手席下の電動空気圧縮機(CP)冷却用ダクトの形状ぐらいでしょう。
その後189系とはしばらく離れていたのですが、その間に長野運転所の189系もリニューアルされれました。

(「あさま」クハ189・横川~軽井沢・1996年9月)
カラーリングも一新されましたが、特急シンボルマークが撤去されたのは残念。
EF63とのタッグも20年以上となっていました。

(「あさま」EF63 24・横川~軽井沢・1996年9月)
しかし翌1997年に長野新幹線が開業し、189系「あさま」も碓氷峠も廃止。

(「あさま」クハ189-2・横川~軽井沢・1997年9月)
この頃は茶色に塗装されたEF63もいたので、バリエーションが豊富でした。

(「あさま」EF63 19・横川~軽井沢・1997年9月)
ちなみにこの189系はグレードアップ編成。
そして長野新幹線の開業で長野運転所の189系は一部を残して廃車、転属となりました。松本運転所に転属した車両は「あずさ」カラーに塗色変更されて使用されましたが、2002年までにE351系、E257系に置き換えられて再転属しています。
そのうち6両は2003年に日光線などの観光列車用ジョイフルトレイン「彩野」に改造され、小山電車区Z45編成となりました。この編成は大宮ふれあいフェアで試乗したことがありましたが、あまりに奇抜なカラーリングにうっかり撮影するのを忘れていました。
そして2006年3月に大宮総合車両センターに転属してOM201編成となりました。その際に東武直通対策として東武ATS、列車無線を搭載すると共に塗色も東武直通用485系小山車と同じカラーに変更。485系の代走や臨時運用に充当されました。

(「日光」クハ189-2・東大宮~蓮田・2006年11月17日)

(「きぬがわ」クハ189-511・栗橋~新古河・2010年2月2日)
個人的には文字入りヘッドマーク付きの姿が485系よりも好きでしたが、客室設備が見劣りするため、485系の検査代走は東武100系を優先させることになっていました。
その後、「成田エクスプレス」から撤退した253系200番代を東武直通特急用253系1000番代に改造して投入。余剰となった189系「彩野」は2011年6月27日に廃車回送されました。
189系は183系と共に幕張電車区にも転属し、特急色に戻されて運用に就いていましたが、ライナー運用のC編成が中心だったようです。

(「中央ライナー」クハ189-514・神田・2008年2月20日)
C編成は臨時特急にも充当されていました。

(「あずさ」クハ189-514・新宿・2006年10月21日)
ある意味、古巣でも活躍していたというわけですね。
リバイバル列車でも活躍。2002年12月14~15日に運転された「思い出のとき」ではC5編成を使用しました。

(「思い出のとき」クハ189-10・新潟・2002年12月15日)
リバイバル列車が多数運転された時期でしたが、189系の、しかも特急シンボルマークなしというのは違和感を感じたのは事実でした。

(「思い出のとき」クハ189-508・越後湯沢・2002年12月15日)
最後まで残ったのがC2編成。「ホームライナー千葉」のほか、房総特急でも活躍を見せていました。

(「新宿さざなみ」クハ189-1・九重~館山・2007年2月12日)
元クハ183-1016を改造したクハ189-1516もC2編成で生き残っていました。

(「あやめ」クハ189-1516・両国・2008年5月25日)
このC2編成も2009年3月14日で引退し、幕張から189系は消滅しました。