しかし1972年、東京地下駅の開業と外房線、内房線が電化され、新たな直流特急形電車が誕生することになりました。それが183系です。

(「しおさい」クハ183-6・成東~松尾・2005年11月5日)
車体は485系貫通形に準じ、屋根高さは3,475mmで共通ですが、床面高さは485系より35mm低い1,200mmとし、窓高さも55mm低い800mmとなっています。また近距離列車が主体なため、特急形電車として初めて食堂車の存在しない形式となりました。そのかわりグリーン車のサロ183形に車販コーナーと車販準備室が設けられています。はまた末端区間での普通列車使用も考慮して、これまた特急形電車では初めて2扉となりました。また簡易リクライニングシートを全面採用していました。
先頭車は総武地下線の非常口と将来の分割併合に備えて貫通構造を採用。総武地下線用のATCも搭載しています。
電動車は181系に倣い、モハ183にパンタグラフを搭載していました。直流区間各地への運用を考慮しており、中央東線のトンネル対策で屋上前照灯を省略したほか、横軽通過対策も施され、空気バネパンク装置も備えられました。
1974年には上越線「とき」用181系を置き換えるために、183系1000番代が登場しました。1971年から上越新幹線の建設が始まっており、当初は1976~1977年頃には上越新幹線が開業する予定だったのですが、オイルショックなどの影響で建設費が高騰し工事が遅れていました。加えて1974年の豪雪によって181系が故障を多発させて社会問題となりました。そこで181系を置き換えるために急遽開発されたのが183系1000番代です。

(「とき」クハ183-1000・八色~小出・1981年2月)
183系0番代よりも耐寒耐雪性能を高める必要から、当時設計が進んでいた信越本線用189系をベースとした非貫通形の先頭車が登場。またパンタグラフもモハ182に搭載するなど、0番代とは形態がかなり異なりますが、混結は可能。
信頼性の確保のため、クハ2両とサロに電動発電機(MG)を搭載した3MG方式を採用しています。
183系新製車としてはこの0番代と1000番代ふたつのグループが柱となります。
当時は六日町に住んでいたので、183系1000番代はデビュー後程なくして乗車する機会を得ました。当時は最新車種できれいだった印象は残っています。
カメラを手にした時は札幌に移り住んでいたため、初めて183系を撮影したのは1979年1月のこと。東京駅13番ホームに停車していた「あまぎ」でした。

(「あまぎ」クハ183-1000・東京・1979年1月)
183系1000番代は「とき」用として新潟運転所に配置された後、やはり老朽化が著しかった157系「あまぎ」「白根」置き換え用として田町電車区にも配置されていました。
「あまぎ」にはグリーン車2両連結の10両編成で運転。この編成は冬季にはスキー臨時特急「新雪」にも充当されていました。
しかし1981年1月から153系急行「伊豆」を置き換えて特急化するために185系が田町電車区に投入され、同年10月1日からL特急「踊り子」として運転を開始。これに合わせて「あまぎ」も踊り子に統合されることになりました。

(「踊り子」クハ183-1023・東京・1982年8月)
一方「白根」にはグリーン車1両入りの7両編成が充当されていました。この当時は東北本線東京~秋葉原間は繋がっていたので、田町電車区を出区した183系1000番代「白根」編成は東京駅を経由して上野に向かっていました。11番線も懐かしいですが、この時はすでに13番線の線路は撤去され、12番線は行き止まりになっていました。

(「白根」(回送)クハ183-1000・東京・1982年3月)
なお当時の「白根」は季節列車。L特急化されるのは1982年11月15日からで、編成も新前橋電車区の185系200番代に置き換えられました。そして田町電車区の183系1000番代は「白根」から撤退しています。
小出に引っ越しした1980年以後は「とき」用183系1000番代とのつながりが深くなりました。

(「とき」クハ183-1000・八色~小出・1980年8月)
新潟運転所の183系1000番代は食堂車こそないものの8M4Tの堂々たる12両編成を組んでいて、上越線のエースとして遜色はなかったと思います。
上越線にはスキー臨時列車も多数運転されていましたが上野~石打間の特急「新雪」には幕張電車区の183系0番代や田町電車区の183系1000番代が充当されていました。

(「新雪」クハ183-11・石打・1981年3月)
実はこの時に初めて183系0番代を見ました。
最盛期の183系1000番代新潟車は「とき」14往復中11往復を担当していました。

(「とき」クハ183-1010・土樽~越後中里・1981年8月)
しかし183系1000番代「とき」の活躍も上越新幹線が開業する1982年11月15日まで。

(「とき」クハ183-1000・越後中里~岩原スキー場前・1982年6月)
上越新幹線開業後、新潟運転所の183系1000番代は長野運転所と幕張電車区に転属することになっていましたが、幕張転属車はATCを搭載する必要がありました。そこで1981年にクハ183-1501、1502が新製されて新潟運転所に配置されました。

(「とき」クハ183-1501・土樽・1982年6月)
客室内にATC機器室を設け、その部分には窓がなかったため外観的に識別することは容易でした。
1982年3~8月にはクハ183-1025~1032にATCを搭載改造したクハ183-1525~1532が登場しました。

(「とき」クハ183-1525・土樽・1982年6月)
外観的には新製車と変わらず、1982年11月15日以降は幕張電車区に転属しています。なお総武地下線は地下鉄ではないので非常用貫通扉は不要だったようです。
クハ183形1500番代の種車には飾り帯の位置が低い珍車クハ183-1027、1028も含まれていました。

(「とき」クハ183-1527・土合~土樽・1982年6月)
この珍車は1978年日本車輌製でした。
183系1000番代新潟車にも「あまぎ」の幕が入っていたようで、上野駅でのマークチェンジではこのような光景も見ることができました。

(クハ183-1006・上野・1982年8月)
そして1982年11月15日のダイヤ改正で183系1000番代の運用は大きく変化。

(「とき」クハ183-1527・日暮里・1982年11月)
上野口の主だった183系1000番代は一夜にして姿を消してしまいました。