
(「白山」クハ489-502・尾久・1982年8月)
本来なら487系と命名されるはずなのですが、487系を飛び越して489系と命名されたのは、横軽協調運転車のパイオニアである169系に関連づけて下一桁を9としたため。同じ理由で直流特急形電車も189系となっています。
中間車は485系0番代、先頭車はクハ481形100番代をベースとしているため、クハ489形はシールドビームを採用し、電動空気圧縮機(CP)は床下配置としています。
EF63と連結する横川側先頭車は自動連結器のカバーなしで、開放テコとKE70ジャンパ連結器を装備し、クハ489形500番代となっていました。
そんな489系ですが、1978年10月のダイヤ改正で「はくたか」にも運用されるようになったので、上越沿線に住んでいた自分にも身近な存在となりました。

(「はくたか」クハ489-1・土樽~越後中里・1982年4月)
この編成はサシ489を外して8M4T化されていましたが、当時としては走行距離に対して食堂車がないという珍しい編成でした。
489系は少数の製造ながら485系のモデルチェンジに合わせてモデルチェンジが実施されています。1972年製造車は先頭車の貫通構造化とモハ488にAU71集中クーラー、それ以外にAU13分散クーラーを搭載しています。

(「白山」クハ489-203・熊谷・1982年10月)
奇数向き先頭車はクハ481形200番代に合わせてクハ489形200番代となりましたが、偶数向き先頭車はクハ489形600番代とプラス400となっています。
なお横軽通過時に空気バネをパンクさせるため、横軽通過後速やかに空気バネに空気を送り込む必要があり、クハ489形600番代には2000ℓ/min容量のCPを2基搭載しています(クハ481形200番代は1基)。
1974年には先頭車を非貫通構造とし、クハ489形300番代、700番代が登場しています。

(「はくたか」クハ489-700・上野・1981年)
700番代のCPが2基搭載されているのは600番代と同様。
先頭車の製造両数で行くとボンネット形が0番代、500番代各5両、貫通形が200番代、500番代各5両。そして非貫通形が300番代、700番代各4両という少数派でしたが、製造年次の関係で485系並のバリエーションを誇っていました。
そんな489系ですが、上越沿線に住んでいた自分としてはやはり「はくたか」の方が馴染み深かったです。

(「はくたか」クハ489-201・篭原・1982年10月)
1982年11月15日のダイヤ改正で上越新幹線が開業して「はくたか」は廃止となりましたが、「白山」は引き続き運転されていました。

(「白山」クハ489-502・鶯谷・1987年4月)
上越線のスキー臨時列車「新雪」にも度々使用されていました。

(「新雪」クハ489-605・日暮里)
「はくたか」2往復は1982年11月のダイヤ改正で廃止されたわけですが、実際には運転区間を変更して金沢~新潟間の「北越」となり、489系も使用されていました。

(「北越」クハ489-4・新潟・1983年8月)
また新潟雷鳥こと大阪~新潟間の「雷鳥」にも489系充当列車がありました。

(「雷鳥」クハ489-502・新津・1983年8月)
489系ボンネット車は「白山」運転開始以前にも「雷鳥」に暫定運用されたことがあり、意外と関西にも縁がある車両でした。
国鉄分割民営化の際、489系の一部はJR東日本に承継、長野運転所配置となり「あさま」に使用されました。

(「あさま」クハ489-200・鶯谷・1987年4月)
国鉄時代も金沢車による「あさま」の運用はありましたが、一時撤退していました。
JR西日本承継車のうち「白山」に運用される編成は専用カラーに塗り替え。

(「白山」クハ489-500・谷浜・1989年8月)
正直言ってこのカラーリングは好きにはなれませんでしたね。
1997年、長野新幹線の開業で信越本線横川~軽井沢間は廃止。「白山」も廃止されてしまいました。

(「白山」クハ489-1・横川~軽井沢・1997年9月)
これでEF63との協調運転という本来の役目は終了。

(「白山EF63-24・横川~軽井沢・1997年9月)
JR東日本の489系は長野新幹線開業時に引退しています。
本来の用途を失った489系ですが、その後色々な意味で注目を集めることになりました。