【国鉄形電車の思い出】Part68 碓氷峠最大の輸送力を誇った169系 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠は、国鉄でもっともきつい66.7‰急勾配区間として知られ、客車、貨車はもちろんのこと、気動車、電車も自力で走ることができず、EF63重連の助けが必要でした。電車や気動車の場合、この区間は無動力となり、EF63が編成を推進、牽引するため、電車の編成両数は8両に制限され、輸送力増強の障害となっていました。この問題を解決して12両編成運転を実現するために開発されたのが169系です。
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(「急行ちくま」クモハ169-9・姨捨・2009年2月7日)
12両編成運転を実施するための秘策は、増結する4両編成分の牽引力を電車に負担させようというものでした。そのためEF63から電車の制御をして一緒に走行する協調運転が行なわれることになり、165系に協調運転のための装置を備えた165系900番代を1967年に試作しました。そして1968年から量産車として169系が登場。試作車も169系900番代に改められています。
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(「日光」クモハ169-902・鶯谷・1982年8月)
165系900番代はAU12分散クーラーの搭載準備工事車として落成。後に先頭車はAU12を搭載しましたが、モハ168は集中式のAU72に変更されたため、屋根を大改造しています。
169系900番代は最初から最後まで新前橋電車区に配置され、165系とともに北関東の急行などで活躍しました。臨時列車で碓氷峠にも入線しましたが、サロ165を組み込んでいたため協調運転は行なわず、信越急行として活躍することなく先頭車はクハ455に改造、モハ168はサハ165形100番代に改造されて消滅しています。

169系量産車は1968年から登場しました。
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(「志賀」クハ169-22・鶯谷・1982年8月)
169系はクモハ169、モハ168、クハ169各27両のみが新製され、サロ169はサロ165から、サハシ169はサハシ153から改造されました。1~25までは冷房準備車で先頭車がAU13、中間車がAU72の準備工事を施されていました。そして26、27は新製冷房車として登場。

169系量産車は長野運転所に配置され、「妙高」「信州」「志賀」などに使用されましたが、信越急行は上野口の中ではとても地味な存在で、あまり写真を撮っていません。
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(「妙高」クモハ169-14・鶯谷・1982年8月)
気がつけば特急格上げで急行運用を失い、上野に姿を見せなくなっていました。

しばらくして意外なところで169系を見かけました。それは富士急行の車庫です。
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(クモハ169-27・富士吉田車庫・2006年10月18日)
これは富士急行が165系パノラマエクスプレスアルプスを譲渡された時の部品取りとして三鷹所属の169系3両も譲渡されたものです。なお残り2両は早々に解体されています。

1997年の長野新幹線開業で、信越本線横川~軽井沢間は廃止。そして軽井沢~篠ノ井間は第3セクターしなの鉄道に経営分離されました。このしなの鉄道には115系と共に169系3両編成4本が譲渡されました。
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(クモハ169-23・長野・2006年10月21日)
169系は朝の快速を中心に活躍。2008年には軽井沢~関山開業120周年を記念してS52編成が急行色に塗り戻され「リバイバル信州」として運転されました。
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(「リバイバル信州」クハ169-19・上田・2008年9月13日)
この日は169系に思いっきり乗ったり撮ったりしていまいした。

さらにJR東日本でのリバイバル列車にも使用。
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(「急行ちくま」クハ169-6・篠ノ井~姨捨・2009年2月7日)
その後S52編成はしなの鉄道色に塗り戻されましたが、2010年に再び急行色となっています。
しかし保安機器の問題で信越本線への入線ができなくなり、定期運用を失いました。

そして2013年4月29日でしなの鉄道169系は引退することになっています。
JR東日本には直流急行形電車の保存車が1両もないので、なんとか戻って来てもらえないものかと思うのですが。